The Boy in the striped pajamas [癒し]
11月25日(火)
ある日、テレビをぼおっと見ている時、あるコマーシャルに目が留まる・・・。
映画、The Boy in the striped pajamas アメリカでは11月7日から封切になっていたそうだ。
今まで気づかなかった・・。早速先週末、見に行って。。。最近には珍しく、たくさんの人が見に来ていて、席は結構埋まっていた。ユダヤ人の方も数多く見られた。
私は結末を知っていたのですが。。。やはり、画像でみるそのシーンは強烈で。。。まさに、ピンを落とす音が聞こえる位、場内静まりかえっていた。。映画が終わっても、暫く動く事ができなかった。。誰一人、動く人がいなかった。。残念なのは、直ぐ明かりがついてしまい、それと同時に人が退場し始めたけれど。。願わくば、もう少し、暗いままでいて欲しかった。。気持ちの動揺が鎮まるまで。。
日本は、確か、アメリカよりも早く上映していたのではなかったかな、と思います。。。話の詳細はここでは書きません。是非、見て戴きたいと思うから、です。。
この映画が。。どんなに怒りを感じても、釜山の方々に手を差し伸べ続けようと思ったきっかけです。
因みに私のブログで、下記、終戦記念日に、ワシントンDCにある、ホロコーストミュージアムをご紹介しています。。機会があったら、是非訪問してください。。私の次の目標は、広島、長崎。。そして、ポーランドのアウシュビッツ。。。へ訪問する事。是非、実現したいです。
http://globaltrotter.blog.so-net.ne.jp/2008-08-16
↓ ドイツ人と、ユダヤ人の少年の友情のお話・・・そして子供の視点からのホロコースト。。
因みに、この映画の基になっている小説は、アイルランド人が書いたフィクションですが。。その作家は、1日半で、この作品を書き上げた、と聞きます。。
12月には、この手の映画が2つ控えています。。 ひとつは、以前このブログでもちらっと紹介したのですが、ヒットラーの暗殺計画を描いた、Valkyrie (ワルキューレを英語でつづるとこうなるんですね・・・)。ヒットラーは、ワグナーを愛聴していた、と聞いた事がありますが。。予告を見たのですが、結構戦闘シーンとか、激しい場面がありそうですが。。これは是非見たいと思っています。
それから。。ドイツ人の小説が映画化された、 The Reader -日本語訳は、朗読者、だったかな。。私は本は未だ読んでいないのですが、あらすじを読んだら、いかにもドイツ小説らしく。。何となくゲーテの若きベルテルの悩み、を彷彿しました。。こちらは、第2次大戦後にナチスにかかわった女性の、戦犯としての裁判の模様を描きながら、若い男性と年上の女性の悲哀の話、になるのかな。。
映画では、この年上の女性の役を、あのタイタニックの、Kate Winsletがやる様です。こちらも予告を見ましたが、彼女の老けぶりにちょっとびっくり。。これは。多分映画館まで足を運ばず。。ケーブルテレビのビデオオンディマンドで出てくるのを待つことにするかな。。
やはり・・芸術の秋、ですね(もう冬かな。。)
Confidence [癒し]
10月30日(火)
火事の後、徒然なるがまま、一人つぶやき。。。多分長くなりますから、読む方は要注意♪(笑)
世界中・全米中に散らばる私のお友達から、お気遣いやご心配のメール、電話を戴き、感謝の気持ちで一杯です。。可能な範囲でお返事をしているのですが、なかなか追いつきません・・・。こうして、ブログを通じてお知り合いになった方々からも暖かいコメントやナイスを戴きまして、改めてお礼を申し上げます。。有難うございます♪
先週末、私の近所の行動範囲(グローサリーストアやショッピングモール)を車で走ってみたら、思ったより被害が少ない事に嬉しい驚きがあったが(阪神淡路島大震災の被害規模に比べたら全然少ないです。。消防士さんの奇跡です)、商品の配送がストップしていたせいか、店頭に並ぶ品数は少なかった。会社の近くにあるクリーニング屋さんは、98年に住んでいた時から使っていて。そこのオーナーは以前、ブラジル人で、私が以前中南米を担当していた時に、そのブラジル人のオーナーにブラジルからCDを買って来たりしていた仲なのだが。。今回移り住んで見たら、お店の名前はそのままで、韓国人(それも多分北朝鮮)のオーナーに変わっていた。が、その韓国人のオーナーとも大の仲良しになり、お店やお互いの家の無事を喜びあったりして。。先週末から灰で汚れたベッドカバーやブランケット等の大物のクリーニングの依頼がが多くて大変だ、と言っていた。いつもお願いしている、ネールのお姉さんとか、美容師さんとか、どうしているだろうか。。無事を確認したい人がまだまだいる。。
月曜に会社に行ってみると、まず駐車場の裏にある山が半分真っ黒こげになっていて。。会社のビルの近くが、いわゆる火事場の後のきな臭い(焼け焦げた臭いと消火活動による水の湿っぽい)臭いがただよっていて。オフィスが無事なのは、消防士さんが消火活動を頑張って下さったお陰なのだと改めて感謝を感じながら、オフィスに入った途端、臭くて咳き込む位、空気が悪かった。一応、警察や消防や州政府のお偉いさんのオフィス環境に関するお墨付きをもらっているそうだが、気管が割りと敏感な私は、咳がひどくなって参った。。空気洗浄器を注文してもらった。。でも、こんな状態でも全く文句はない私。。
職場の人や同僚からの実際の体験談。更に月曜の夜に通っているRancho Bernardoにあるヨガクラスのクラスの人達の経験談。。聞けば聞くほど、胸が痛み。。妙な連帯意識が生まれて来る。。日本の阪神淡路島の大震災があった時もこんな感じだったのだろうか、とふと思う。会社やヨガクラスの殆どの人がRancho Bernardo近辺に住む為、朝方4時にReverse-911で起こされた時には、家の周り中、火が上がり殆どパッキングする時間も無かった事。自宅のプールに投げ入れて、自宅は失ったけど、プールに投げ入れた物は助かった人。犬を3匹飼っていたけど、1匹しか連れてこられなくて失ってしまった人。。壮絶な経験をされている。。。
多分、このビデオが、その模様を一番表現していると思うので、もしご興味のある方は、ご覧下さい。このビデオのPomerado通りと言うのが、私の家の地域から東に約数マイル行った所にあります。
先週月曜の風速が、ハリケーン並の時速50マイル(約80キロ)からガストで100マイル(160キロ)。このビデオで見られる細かい火の粉がアウトオブコントロールで、この火の粉が飛び散った先が次々と燃えて行ったそうです。なので、例えば、全く火事の場所から離れた家でも1件だけ燃えてしまったとか。。そういうケースもあった様です。Act of Godとは良く言ったもので。。神のみぞ知る。。それにしても火事以来、余りカラスを見ていないのですね。どこかへ逃げたのか、それとも逃げ遅れたのか。。申し訳ないけど、ちょっと有難い・・・。
因みに下記のYouTubeは、私の住む地域のちょっと北にあるカーメルマウンテンに住む方が、10月21日、日曜の空の模様をビデオに撮られていて、前回私が書いた日曜の様子を旨く表現しています。。このビデオが撮られたカーメルマウンテンと言う街は、私が呑気にネールをやってもらっていた場所です。。
全く避難すらしなくて済んだ人、更に灰の被害すら受けなかった人が、私の周りでは約10%位しかいない事を知り、私はその幸運な10%の中に入る訳だけれど、何だかその事が、もの凄い申し訳ない様に思えて来て。。。何ていうか、これが、サバイバーギルト(助かった人の罪悪感)なのかな、と思ったりします。
今回の火事は、自分にとって何が一番大切なのかがわかった経験と言うのを前回書かせて戴きましたが、私にとっては、他にもあった様です。 あるのが当たり前だと思っていた自分が持っている物(有体、無体)への感謝の気持ち。自分がいかに恵まれているか、Protectedで、BlessedでGiftedでLovedだと言う事を、今は、申し訳なく思う、と言う罪悪感で止まっています。。これを徐々に感謝の気持ちへと変えて行く、これがLessonなのかな。。と。
ちょっと長くなったから、この辺で、続きを読む、入れてみようか(笑)
Remembering 911 '07 [癒し]
9月11日(火)
今日のこの日は、やはりこの事に触れたい。
あれから6年。。もう6年、未だ6年。。
この日をアメリカ西海岸で迎えるのは、初めてだが、西海岸にいるせいなのか、それともあれから6年の月日が流れている故なのか、傷が癒えて来ている様な気がする。
こちらは、東海岸より時差が3時間ある為、朝起きたら既にNYの追悼式典は始まっていて。最初の飛行機がワールドトレードセンターに突っ込んだ時刻に黙祷を捧げていた東海岸の時と比べて、何だかちょっと遠い所にいるよう。。
去年も、911の事は、こちら で触れさせて戴きましたが、あれから6年と言えど、6年前のあの日の事を今でも鮮明に思い出す。。
私はあの日、未だ日本にいて。2001年10月1日に設立される関係会社との面接の為、マイアミへの出張を2日後に控え、確か新橋で友達が壮行会を開いてくれた。あの日も火曜日。帰宅してテレビを付けた時、丁度2機目がWTCに突っ込んだ瞬間が画面に写しだされ、一瞬自分の目の前で何が起こっているのかわからない位の衝撃的映像が目に飛びこんで来た。その画像を見ながら、私は明後日、マイアミに飛べるんだろうか、私の面接はどうなるんだろうか、とぼーっと考えていた事を思い出す。
勿論、飛行機は全てキャンセル。明後日に飛べるはずもなく。かと言って、10月1日に設立される会社のマイアミオフィスに採用されるかどうかの面接は、その前に行なわなければならず。。太平洋線が開始された1週間後、マイアミへ出張。その時の模様は、こちら。
会社に念書。がら空きの成田。ジャンボに5人。やたら親切なアメリカ入国審査。いても立ってもいられなくて、ダラス空港に来ていた、たくさんのボランティアーの方達。ダラス空港で、全ての飛行機に見せる為に掲げられていた、United We stand, American we are の垂れ幕と、手を振っている人達の姿。献血に長蛇の列。1週間後に行なわれていた追悼式での感動的なブッシュの演説と数々のスターの共演。今でもはっきりとこの目に焼きついている。無事面接に受かり、2度目の渡米となった訳だが、当初、911の傷跡深いアメリカでの外国人の生活は厳しいものだった。引越業者に、今はアメリカから10人戻って一人来る割合で、あなたはその物好きの一人だ、と言われたけど。その事情もわかる様な気がした。
私の友人は、サウスタワー(だったと思う)のモルガンスタンレーに勤務。彼女は命からがら逃げ出して助かったけど、たくさんの同僚を失い。。メンタリーのダメージを受けて暫く日本で休養していた。
ユナイテッドのフライトアテンダントをやっていた友人は同僚をなくした。
あの時NYにいらっしゃったNY在住の方々のご経験や、私の友人の様に実際にWTCにいた方々のご経験に比べたら、私の経験などは、随分ちっぽけなものだけど。今日のこの日は、私も含め、世界中の方々にとって、あの日のあの瞬間を鮮明に思い出す、特別な日なのだと思う。
だからこそ。。伝えなければいけない。攻撃に攻撃は、何も解決しない。復讐は何も解決できない。攻撃の連鎖を断ち切るのは、許し、しかない。アメリカ、アメリカにはその広い心があるのではないか?
去年も載せたけど。。ありし日の、WTCの姿。。。1993年9月撮影。
An Eye for Eye will make us all blind -Mahatma Gandhi
目には目を、は、私達全てを盲目にする -ガンジー
戦いの無い平和な世界に、貢献し続けたいと思います。
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皆様、コメント有難うございます。妹は無事先週日曜に到着しております。今日は、サンディエゴのシーワールドに行きました。明日から、アリゾナ、フェニックス経由、セドナまで行きます。戴いたコメントのお返事は、旅の出発前に書きたいな~。その前に一眠りですね。。
今日のベストショット。。。いるかのジャンプ♪ アメリカ一高くジャンプできるドルフィンと言っていた。
Addio, Luciano Pavarotti [癒し]
9月6日(木)
今朝起きてテレビをつけたら、真っ先に飛び込んできた悲しい訃報・・・。
偉大な音楽家が、この世を去った。。ルチアノ パバロッティ。未だ71歳。早すぎる死。
昨日は、マザーテレサの10回目の命日。そう言えば、ダイアナ妃が亡くなった5日後に、後を追う様に亡くなったんだっけ。と思い出だしていた矢先。ルチアノパバロッティも、ダイアナ妃と仲が良かったと聞く。彼女のお葬式に歌う様頼まれたけれど、悲しみが喉につかえてうまく歌えないから、と断った話は有名。
毎年、この時期が来ると、この3人の事を思い出すのだろうか。。
まだちょっと信じられない。今日はずっとルチアノパバロッティの歌を聞いている。今頃、天国で、プッチーニやヴェルディやモーツアルトと会ってると良いな~、なんて考えながら。微笑ましい光景。
パバロッティとの出会いが、私をオペラに引きずり込んだと言っても過言ではない。
心に響き、魂に響く彼の歌声が大好きだった。彼は今世紀最高のテノール歌手だと私は思う。
私のパバロッティとの出会いは、確か1990年のイタリアワールドサッカー開催時のローマで行なわれた前夜祭で3大テノールの初コンサートをテレビで見た時。3人のライバルが全く違った個性を出して、それぞれが歌い、最後には一緒に歌って、ちぐはぐな所が尚良かった。その後、すっかりオペラ、特にイタリアオペラに魅せられて、カンツォーネまで聴き始めた。確か10年前位だったか、3大テノールのコンサートを東京で見たのが最初で最後の、生パバロッティの演奏。O Sole Mio で、Ma n'atu sole の n'a を思い切り引き伸ばして、King of High C と呼ばれた声をふんだんに使った歌声を聴いた時に、全身鳥肌が立ったのを今でも鮮明に覚えている。
パバロッティは、国連等への募金活動の為のチャリティーコンサートも開催していた。地雷撤去の為の募金集めでダイアナ妃と知り合ったと聞く。彼の生まれ故郷、イタリアのModenaで毎年開催していたPavarotti & Friendsもその一環。いつか行きたい、と思っているうち、イタリアすら行けずに、彼は逝ってしまった。
最後にテレビでパバロッティを見たのは、去年のイタリアトリノ冬季オリンピックの開会式で、歌われたPuttini Turandotの Nessun Dorma。これを見た時、涙が出た。荒川静香さんが金メダルを取った時の演奏曲と同じ歌。Vincero-勝つぞ!って歌ってるのに、癌には勝てなかった・・・。
今日何度もYou Tube で画像を見ていた。寄せられたコメントを読んでいると泣けて来た。誰もが彼の死を惜しみ、賞賛を送っている。イタリア語やスペイン語のコメントが圧倒的に多い。
こうして、当分、私はパバロッティを聞いているのだろう。。彼へのTribute。。
★Nessun Dorma by Pavarotti at Torino 2006 -イタリアトリノオリンピック
http://www.youtube.com/watch?v=ZaufjDVYivc
今↑のビデオを見ると、具合が悪そうなのがわかる。この後、膵臓癌が発覚したのだし。。
★O Sole Mio/the Three Tenors concert 1990
http://www.youtube.com/watch?v=99kjFdLFjH4
★La Donna E Mobile-Verdi/the Three tenors 1994
http://www.youtube.com/watch?v=MnWYM9eUrZo
★The3tenors-Carreras-Domingo-Pavarotti--Nessun Dorma
http://www.youtube.com/watch?v=MDtcidMR_6I
うん。もうこれはきりがないね・・。DVD買う。
CDをがさがさと漁ってみたら、結構持ってた。今日は、オフィスでもBGMで聞きまくり・・。
- アーティスト: パバロッティ(ルチアーノ), カレーラス(ホセ), フィレンツェ五月音楽祭管弦楽団, ローマ国立歌劇場管弦楽団, チレア, メータ(ズービン), ドミンゴ(プラシド), マイヤベーア, プッチーニ, レハール, グリミネルリ(アンドレア)
- 出版社/メーカー: ユニバーサルクラシック
- 発売日: 1994/09/21
- メディア: CD
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- アーティスト: パヴァロッティ(ルチアーノ), ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団, キアラメッロ(ジャン・カルロ), カプア, ボローニャ市立歌劇場合唱団, マジエラ(レオーネ), ボローニャ市立歌劇場管弦楽団, グァダーニョ(アントン), トスティ, カンニオ, クルティス
- 出版社/メーカー: ユニバーサルクラシック
- 発売日: 2003/06/25
- メディア: CD
パヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラス 3大テノール・イン・パリ1998
- アーティスト: ドミンゴ(プラシド),パヴァロッティ(ルチアーノ),レヴァイン(ジェイムズ) カレーラス(ホセ), カレーラス(ホセ), レヴァイン(ジェイムズ), パリ管弦楽団, ピエトリ, ドミンゴ(プラシド), ジョルダーノ, パヴァロッティ(ルチアーノ), ララ, キアラメッロ, グリーグ
- 出版社/メーカー: ユニバーサルクラシック
- 発売日: 1998/08/29
- メディア: CD
- アーティスト: パバロッティ(ルチアーノ), ボローニャ歌劇場管弦楽団, ブルーノ, ラザーロ, マジエラ(レオーネ), グスタフソン(ナンシー), カーメン(マイケル), ボチェッリ(アンドレア), レオンカヴァルロ, ジョルジア, ボローニャ市立歌劇場管弦楽団
- 出版社/メーカー: ユニバーサルクラシック
- 発売日: 1995/06/25
- メディア: CD
- アーティスト: Ludwig van Beethoven, Vincenzo Bellini, Georges Bizet, Arrigo Boito, Giovanni Buononcini, Gaetano Donizetti, Giovanni Legrenzi, Ruggero Leoncavallo, Franz Liszt, Jules Massenet
- 出版社/メーカー: Golden Classics
- 発売日: 2004/02/10
- メディア: CD
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Penso che una vita per la musica sia una vita spesa bene ed e a questo che mi sono dedicato..
Your unforgettable voice will stay forever in our hearts and our souls...
そして。左手にハンカチを握り締めて熱唱する姿も忘れない。
Rest in Peace... Riposi in Pace, Maestro Pavarotti... Grazie mille di tutto...Addio
どうぞ、安らかにお休みください。ご冥福を心よりお祈り致します。Amen
白い光 黒い雨 と アユタヤ [癒し]
8月10日(金)
象さんの話や、原爆の話をしていたら、タイのアユタヤの話がしたくなりましたので、まずはアユタヤから。。
1350年にアユタヤ王朝の都として築かれたアユタヤは、水運を利用し、近隣諸国を始め、ヨーロッパとも交易を広め、最盛期には、東南アジア最大の都市へと発展します。17世紀には、日本と御朱印船貿易により、1500人が住む日本人町も形成され、山田長政が傭兵隊長として名を馳せます。
ところが、35代続いた王朝、4世紀に渡って続いた都は、1767年、ビルマ(今のミャンマー)に攻撃され、滅亡し、都は廃墟と化します。この廃墟がそのまま遺跡として残され、当時の面影を伝えると共に、戦いの惨さを訴えています(世界遺産)。。兵どもが夢の後。。奢れる者も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。猛き者も遂には滅びぬ。。。この無常観が漂うから、好きなんだろな。
2001年の1月お正月明け、私は友人とタイに行きました。滞在先は、バンコクでしたが、1日使って、アユタヤまで行きました。この時は未だ、その10ヶ月後にアメリカの仕事をゲットする事になろうとは夢にも思わず、この時タイに行って本当によかったと思いました。アメリカからはなかなか東南アジアは行けませんからね。。恐らくこのタイの旅行が、フィルムを使ったカメラの最後の使用だったかもしれません。余りちゃんと写真を撮らない性格が出ていて、大した写真が残っていないです。個人的には、バンコクも良かったのですが、アユタヤに魅せられました。きらめく寺院、朽ちた仏像、田園が続くのどかな景色、温和で素朴な人々。。今度は、アユタヤに滞在してもう少しゆっくりみたいと思いました。
さて、ここには、エレファントキャンプがあり、象を保護しています。象乗りもできます。
↓は、象乗りをしてる時に取った写真。結構高いの。
それから、Wat Pho と言う寺院に、有名な腕枕して寝そべっている仏陀がいます。悟りを開く寸前の仏陀だそうです。。
気にしない、気にしない
のんびり、行こうや・・・
やっぱり、この方もパンチ、でしたね(笑)
↓は、足の方から写している写真ですが、足の裏に、煩悩の108枚の絵がはめ込まれています。
閑話休題・・・・・
ここから、先日見た、白い光、黒い雨の事を書きますので、読まれたくない方は飛ばして下さい。