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白い光 黒い雨 と アユタヤ [癒し]

8月10日(金) 

象さんの話や、原爆の話をしていたら、タイのアユタヤの話がしたくなりましたので、まずはアユタヤから。。

1350年にアユタヤ王朝の都として築かれたアユタヤは、水運を利用し、近隣諸国を始め、ヨーロッパとも交易を広め、最盛期には、東南アジア最大の都市へと発展します。17世紀には、日本と御朱印船貿易により、1500人が住む日本人町も形成され、山田長政が傭兵隊長として名を馳せます。

ところが、35代続いた王朝、4世紀に渡って続いた都は、1767年、ビルマ(今のミャンマー)に攻撃され、滅亡し、都は廃墟と化します。この廃墟がそのまま遺跡として残され、当時の面影を伝えると共に、戦いの惨さを訴えています(世界遺産)。。兵どもが夢の後。。奢れる者も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。猛き者も遂には滅びぬ。。。この無常観が漂うから、好きなんだろな。

2001年の1月お正月明け、私は友人とタイに行きました。滞在先は、バンコクでしたが、1日使って、アユタヤまで行きました。この時は未だ、その10ヶ月後にアメリカの仕事をゲットする事になろうとは夢にも思わず、この時タイに行って本当によかったと思いました。アメリカからはなかなか東南アジアは行けませんからね。。恐らくこのタイの旅行が、フィルムを使ったカメラの最後の使用だったかもしれません。余りちゃんと写真を撮らない性格が出ていて、大した写真が残っていないです。個人的には、バンコクも良かったのですが、アユタヤに魅せられました。きらめく寺院、朽ちた仏像、田園が続くのどかな景色、温和で素朴な人々。。今度は、アユタヤに滞在してもう少しゆっくりみたいと思いました。

さて、ここには、エレファントキャンプがあり、象を保護しています。象乗りもできます。

↓は、象乗りをしてる時に取った写真。結構高いの。

それから、Wat Pho と言う寺院に、有名な腕枕して寝そべっている仏陀がいます。悟りを開く寸前の仏陀だそうです。。

気にしない、気にしない

のんびり、行こうや・・・

やっぱり、この方もパンチ、でしたね(笑) 

↓は、足の方から写している写真ですが、足の裏に、煩悩の108枚の絵がはめ込まれています。

閑話休題・・・・・

ここから、先日見た、白い光、黒い雨の事を書きますので、読まれたくない方は飛ばして下さい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

このドキュメンタリーを作った、スティーブオカザキ監督は、25年間ずっと、これを実現させたかったそうです。本当は、原爆投下・終戦から50周年を迎える94年に映画化したかったそうですが、その時は依然として、政治的風当たりが強かったと言います。

ドキュメンタリーは、事実が文章で画面に写されるだけで、ナレーションがありません。被爆して生き残った日本人のサバイバーの方達と、エノラゲイに乗って、実際に原爆投下のミッションを果たしたアメリカ兵士が、自分の経験を淡々と語り、実際の画像が所々に散りばめられているだけで、ドキュメンタリーの視点は非常にニュートラルで客観的です。これは、このドキュメンタリーをアメリカの学校で子供達に見せて欲しい、と言う意図があって作られたからだそうです。ウエッブサイトには、このドキュメンタリーを使用して、学校で授業をする時の先生への指導書が掲載されています。

なので。。私も、このドキュメンタリーを見た感想を書く事を躊躇しましたが、自分なりに感じた事を、簡単に書きたいと思います。

このドキュメンタリーは、’今の日本の人口の75%は1945年以降に生まれている’と言うメッセージで始まります。そして、画面は、渋谷、原宿の竹下通りを歩く若者が映し出され、彼らに街頭インタビューがされます。 ’あなたは、1945年8月6日に日本で何が起こったか、知っていますか?’ その画面に登場した若者全員が、’知らない’ と答えています。。私は、この冒頭のシーンに監督のメッセージが込められているのではないか、と思いました。私は、このシーンが一番悲しかった。。。

ドキュメンタリーは、3部でなりたっています。 The Suvivoros-生存者  The Bombー爆弾 そして、The Aftermath -その後 。 最初のThe Suvervivors では、生存者の方々が、その当時のお写真を持って、その時、自分はどこで何をしていたか、を話します。そして、 The Bomb では、アメリカ兵が、自分のミッションは何をしたか、を準備の段階から、上空での様子を語り、生存者の方は、原爆投下時のご自分の経験とその時の街の模様を語ります。その上空からの様子と、広島・長崎の地獄の様子が対照的です。それと、まるで昨日の事の様に細かい様子まではっきり記憶に残り、それを淡々と語っていらっしゃる生存者の姿が、未だ癒えていない心の傷の深さを映し出していました。

でも一番、魂をかきむしられる位、強烈だったのは、The Aftermath-その後のお話、でした。原爆直後の街の様子は想像を絶し。。生存者の方々は、ピカドン(被爆者の蔑視)と呼ばれて、病気が移るからと隔離され、政府からのサポートも余り無く、周りから差別を受けてこられた事(それゆえ、ナチスのホロコーストと比べて、余り原爆の被害者の話が知られていない)、家族皆が死んで自分だけが助かったと言う生存者の罪悪感をずっと引きずっておられる事、でもこうして生きているのは、自分達の経験を後世に語って、こう言う経験をしたのは私達で最後となる様に伝えて行く為に生かされているのだ、と考えていらっしゃる事、様々な原爆症の体の苦しみもさる事ながら、心、魂、全てで苦しまれている事、等々。。。生存者の方々の筆舌では表現できない過去62年間の苦しみを初めて知りました。その事は、ある生存者の次の言葉に凝縮されていると思います。

Even after Survive, we could not live or die like humans... たとえ生き残っても、人間らしく生きる事も死ぬ事もできなかった・・・

当時のトルーマン大統領のテレビでのスピーチが出てきます。一つは、日本と戦争を始めた事ー日本のありとあらゆる生産場所を徹底的に破壊しなければならない、と訴え。 2つ目は、広島、長崎に原爆を落とした時の報告。最後は、日本がポツダム宣言を受領し、無条件降伏をし、戦争が終わった事。

この最後のトルーマン大統領のスピーチの後、ニューヨークのタイムスクエアーが綺麗な服を着て着飾った人で一杯に溢れ、’トータルビクトリー・完全勝利’と言って勝利を祝っているアメリカ人の姿が、私が日本で良く見た、終戦後の何も無い焼け野原で、日本人が地面に正座し、ラジオから流れる天皇陛下の終戦のスピーチを聞いて頭を垂れて泣いているシーンと余りにも違うので、泣けました・・・。

広島の原爆直後に亡くなられた方、14万人、長崎7万人、その後更に16万人が亡くなられた。。。地上の温度は8000度(太陽位)、爆風は1000MPH。今地球上にある核爆弾を合計すると、広島・長崎の原爆の40万倍、との事、です。

昔ブリティッシュロック(と言うかニューウエーブって言われていたか)に、OMDと言うバンドがあって、多分Electricityと言う曲が有名か。このバンドが、Enola Gayーエノラゲイの悲劇、と言う曲を演奏していました。私はかなり後になるまで、これが、広島に原爆を落とした飛行機の名前とは知りませんでした。

今回、初めて、長崎に原爆を落とした飛行機の名前を知りました。 Box Car ボックスカー。

それから。アメリカ兵がつけた、広島、長崎の原爆のニックネームも初めて知りました。これをドキュメンタリーを見て知った時、全身がか~っと、熱くなりました。本当に悲しいと涙は出ないと言いますが、本当に心から怒った時も同様なのかもしれません。ただただ、熱いエネルギーが体を満たすだけでした。

広島は、リトルボーイ(小さい少年)、 長崎は、ファットマン(太った男性)。恐らく、コードネームだったんでしょうか。。。

終戦記念日よりは、少し早いですが、この機会に、長崎、広島の原爆の犠牲者、各地の空襲で亡くなった方々、各地の戦闘で亡くなった方々、戦死された方々、他の国で玉砕した方々、特攻隊で亡くなった方々、この戦争で亡くなられた全ての方々の冥福をお祈りすると共に、平和な世界へ貢献したいと思います。 合掌。。

 

 


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どらっち

私の父祖は7人兄弟。3人は戦争でなくなりました。祖父自身も生き残り
なので、夏になると、戦争の話をしてくれました。
原爆に対しては、戦争を利用した核実験だと思っています。あの時、核爆弾を
使わなきゃいけないほどの脅威のある生産力もなかったと思いますしね。
広島へは2度ほど行きましたが、やはり、二度とも胸が締め付けられそうでした。
by どらっち (2007-08-12 01:20) 

映画に関しては、映画を観てから
感想を述べたいと思いますが・・・
世界は、核そのものの恐怖よりも
なぜ核が落とされたか、という観点からしか
被爆国である日本を見ていないのでしょうか?
核が落とされるとどうなるのか、という無惨さを
もっともっと世界に情報が発信されてもいいはずなのに、
日本の戦犯に関することで蓋をされ、
その濃度を薄められているように思ったりもする。
それはある種、核保有国の陰謀のようにも思えるけど(私見)、
このドキュメンタリーなどを通じて、どんどんその悲惨さを
知ってほしいですね。今村昌平監督の「黒い雨」も
再見したくなりました。
by (2007-08-12 03:31) 

Zunko

どらっち さんへ こんにちは♪
ナイス&コメント 有難うございます。

そうでしたか。。おじい様から直接戦争の話を聞かれているのですね。羨ましいです。それは貴重な体験ですよね。。

あれが核実験、と言うのは、アメリカ側の見解と私も認識しています。ドキュメンタリーでも、エノラゲイでそのミッションを遂行したアメリカ兵の一人が誰もあれ程の威力だったとは知らなかった、と言っていました。戦争を終わらせるのが目的でしたら広島だけで十分だったのに、何故3日後に長崎。。と言うのも不思議ですが、広島はウラン、長崎はプラトニウム(だっけかな?)違う核を使っている、と言う事もドキュメンタリーで知って。実験の為には2度投下する必要があったんだろうなあ、と思った次第です。

でも、アメリカは、あんなものを人間の上に落としたのは日本が戦争をしかけたからその報酬なんだ、と言っている、その行為の正当化ができる心が問題じゃないのかな、と思ったりしました。
by Zunko (2007-08-12 04:35) 

Zunko

コールドターキーさんへ こんにちは♪
ナイス&コメント 有難うございました。

あらっ、日本はもうこんな時間なのに、徹夜ですか?
お疲れ様です・・・。明日はゆっくりお休みできると良いですね。

残念ながら、国連の常任理事国になかなかなれない事に現れている様に、日本は未だに世界の中では最後の世界大戦の敗戦国、なんですよね・・原爆が落とされたのは日本が自分で撒いた種。逆に言うと、そうしておきたい、と言う列国(特にアメリカ)の意図もあるのかもしれませんね。日本は、戦後暫くアメリカの統治下にあって、戦争に関する発言の規制があったと聞きますし。中国、韓国への負い目と言うか、そういう日本の弱さ、もあるのでしょう。。

核兵器保有や、戦争反対、と言う話をすると、どうしても過去のしがらみとか、政治的影響がからんで来てしまい、本来の問題に到達できない様な気がします。。本当は、戦争を起こしてしまった、その原因と言うか、人間の憎しみや憎悪が、人間の心を麻痺させてしまい、原爆や、ナチスのホロコーストの様な行為を産み出してしまう、と言う所にフォーカスを当てるのが先なのかな、と思ったりします。

今村昌平監督の黒い雨、ですね。。キャンディースのスーちゃんがやってる奴でしょう?被爆してお嫁にいけないって話でしたよね。。。あれ、アメリカで字幕スーパー入りのビデオをアメリカ人(ユダヤ人)の友達と一緒に見ました。その時、ユダヤ系アメリカ人の方は、意識が違うと思いました。
アメリカ人、と皆一緒にくくって表現したら、いけないな、私。
by Zunko (2007-08-12 04:48) 

ローズパイが好きならおう

さすがはZunkoさんだと思いました。
私はこれほど的確のレポートすることが出来ていません。
戦争や原爆についてはさだまさしのおばさんの言葉が全てを言い尽くしているように思います。
「その戦争や武器だけを憎んでいても何も変わらない、それよりも悪魔を生み出してしまう自分のこころを恨むべきだから・・・」
今の日本には、戦争や政治のこともそうなんだけどあまりにもだらけきった精神状態なのかも知れません。若者だけでなく戦争について語ること(思い出すのが)拒む経験者。戦後の混乱期にがむしゃらにわがままに仕事をしてきたことから我さえよければいいので、検査はごまかしてでも通過すれば、利益が上がるから利用者なんてどうでも良いという大企業。
ブランド志向とマスコミによる言語統制。平和コンサートより野球選手のインタビューを重視するところなどで今のマスコミの軸足が現れている。
きっと一人一人は決して悪気があるわけではないと信じたい。
どこかで心の病みがあって、これくらいなら大丈夫が積み重なって起こるのだと。だから、一人一人が少しずつ直すだけのことなんだけど、出来なくなってしまっている。
ただ、少しづつこれではいけないと思い行動する人達も広がり、BIGINのうたの日コンサート(http://www.begin1990.com/utanohi/about.html)などにつながっているように思います。
いろいろな意味でもっと多くの人に戦争について考える機会になればと思います。
by ローズパイが好きならおう (2007-08-12 08:16) 

映画は「ヒロシマナガサキ」というタイトルで
日本で観られるそうです。

昨日は葉山マリーナでパスタ、食ってきました。
夜BBQだったので、こりゃいかんと思って、
23時から歩く早さで1時間走ってきた(LSD走法)ので
結局、AM4時まで目が冴えちゃって、ブログ探検してました。
今日とあと15日がお休み。さて、何やろうかなぁ~
by (2007-08-12 11:09) 

Zunko

ローズパイが好きならおう さんへ こんにちは♪
ナイス&コメント 有難うございます。

私ね、思うんですね。人それぞれこの地球上で持ち味があって、役割があって。私は文章を書く、なのかもしれないですし、らおうさんは、お写真だと思うのですよね。。

らおうさんが映し出す、家族の暖かさ、家族の愛、人間の素朴さ、自然の美しさ、子供の無邪気さ。。これこそ、平和へのメッセージなのではないか、と思うのですね。広島にお子さんと一緒に行かれて、募金をして、原爆公園を回って。。そのお写真を拝見しただけで、泣けて来る位心に響きました。。

以前、何故ヒットラーがリーダーになったか、と言う事が書かれた本を読んだ時に、あれは国民がノーを言わずに、彼の独裁を黙認したからだ、と。
勇気を持って、ノーを言う、も、大切な真実を貫く、なのでしょうね。。
by Zunko (2007-08-12 17:58) 

Zunko

コールドターキー さんへ こんにちは♪

教えてくださって有難うございます~。日本でも見られるなんて良かった~。早速、サイドバーに入れちゃいました。東京は、岩波ホールで見られるみたいですね。

あっ、ひょっとして、アリゼ行ったんですか?良いなあ~。ヨットはたくさんでてましたか? 夜の11時から走るってすごいですね~。
お休みどうぞ、ごゆっくり~。 
by Zunko (2007-08-12 18:03) 

YAP

このドキュメンタリーは、8月6日(5日だったかな?)の夜のNHKの番組でも紹介されていました。
これまで、アメリカ人のほとんどは、原爆の悲惨さを何も知らず、「戦争を終結させた正義の一撃」という認識だったと思うのですが、この作品がどういうインパクトを与えるのか。今の戦争礼賛的アメリカ大統領の心にもひびくといいのですが。
by YAP (2007-08-12 18:22) 

naonao

アユタヤは3回行ってます。バンコクのワットポーのリクライニングブッダも懐かしいです。タイのカンチャナブリの戦争記念館には"Don't forget, but forgive"との文字が書いてあり、心打たれました。
by naonao (2007-08-12 20:48) 

Qoo

このドキュメンタリーの試写会で、原爆乙女で米国在住の笹森さんとエノラ・ゲイのパイロットが62年の歳月を経て初めて会われたそうです。二人はともにお互いの健康を気遣いハグしているニュース映像が日本でも流れていました。それを見て、人間って素敵って思えました。「生きてくれていてありがとう」ですね。。。毎年、なんだかの思いをもって8月6日を迎えるのですが、ことしは意識の上にはあがってこなかったんですよ。この部分の『被害者』を越えられたのかなと、自分では感じました。
by Qoo (2007-08-12 23:23) 

lingnam

原爆被害が世界にあまり伝わってこなかった要因の一つに
被爆被害者への言われなき差別もあったと思います。
それとやはり世界へ伝えるためにはツールとして「英語」なのでしょうね。
最近ネット上では英語で日本の主張を伝えていこうという運動がされているようです。
こうした動きを若者の右傾化という安易な言葉にくくられがちですが、
主義主張はともあれ、まず自分の意見を述べること、
これがこれからの日本人に必要なことではないかなと思っています。
by lingnam (2007-08-13 13:54) 

Zunko

YAP さんへ こんにちは♪
ナイス&コメント 有難うございます。

NHKでも紹介されていたのですね。。私、このドキュメンタリーが東京で、7月28日から公開されていたと知った時は、ちょっとびっくりしました。私は日本のニュースは殆どインターネットに頼っていますが、トップニュースにも出て来なかったです。

私は、日本の若者が8月6日に何が起こったのか知らなかった事、被爆者をずっと差別して来た事。。このドキュメンタリーには、日本への強烈なメッセージがあると思っています。

ブッシュさんね。。国民からすっかり離れてしまって。。最近、なんだかすっかり老けて来ましたよ。。イラクとの泥沼戦争、終わりを告げる事を祈るばかりです。
by Zunko (2007-08-13 17:01) 

Zunko

naonao さんへ こんにちは♪
ナイス&コメント 有難うございます。

アユタヤ、3回も行かれたのですね~。良いなあ~。私は今度、もし又東南アジアに行くチャンスがあったら、タイとカンボジア、ラオス、ミャンマーをくっつけてそのあたり回りたいです。。

アメリカでも、Never Foreget ○○○ と使いますが、But Forgive。。はないですね。。これは、素敵です。
by Zunko (2007-08-13 17:04) 

Zunko

Qoo  さんへ  こんにちは。
コメント、並びにご訪問、有難うございます。。。

広島、長崎の事を書いていた時、Qooさんの事が頭に浮かんでいましたよ。被害者の部分を越えて。。。生きていてくれて有難う、が言える様になったのですね。。。良かった。。これからですね。。。私も、時期を同じくして、生まれて来て良かった、段々実感込めて言える様になって来ましたから。。

エノラゲイのパイロットは、ドキュメンタリーでも出てきて、何て言う事をしてしまったんだって、罪の意識に苦しむ様子が映し出されていて。。この彼女がね。その姿を見て、相手側も苦しかったんだ、って言っていましたけど。。ご対面したんですね。。この笹森さんと言う方は、アメリカ在住で。。原爆乙女と言われる方々の中で、唯一インタビューに答えた勇気のある方です。。
by Zunko (2007-08-13 17:12) 

Zunko

lingnam さんへ こんにちは♪
ナイス&コメント 有難うございます。

本当に、おっしゃる通り、日本はもっと世界へ意見を発信して良いと思います。 インターネットが普及して、思うのですが、英語を話す国とそうではない国で、流れる情報量の格差が生じて来てるのではないか、と。今は、何でもインターネットで個人が情報を得られる時代ですからね。。

外国人は、日本人が想像している以上に、日本の事を良く知っているんですよね。。英語で、日本の事を紹介された情報はインターネットで溢れていますから。。。発信もさる事ながら、受信が先かもしれないな、と思います。
by Zunko (2007-08-13 17:18) 

Zunko

カズさんへ こんにちは♪
ナイス 有難うございます。
by Zunko (2007-08-13 17:18) 

とらばろん

広島がウラン235長崎がプルトニウム239と
それぞれ異なった核兵器を使用していることからも実験だと思えますが、
日本に落とす前にアメリカは自国内で自国兵を使って実験しているのですよね。
アインシュタインが生涯後悔したというこの兵器を
トルーマンがどう思って使用したのかが気になります。
核兵器のニックネームもそうですが、
エノラ・ゲイがパイロットの母親の名前から付けられている当たり、
わたしには生涯アメリカという国を理解できないかも知れません。
ちなみにわたしの祖父は戦地がよほど安全だったのか大和へ遠足へ
現地の中国人を息子のように親しくなり一緒に農作物をといたって平和な日々の戦争体験を。
父と祖母は小さな港町にB29の猛爆撃と機関砲の掃射で
殺されかけた体験談をおさない時にしてくれて
戦争というものが恐いのか楽しいのかわけがわからなくなった記憶があります。
by とらばろん (2007-08-20 08:50) 

Zunko

とらばろん さんへ こんにちは♪ お久しぶりですね、お元気ですか?
ナイス&コメント 有難うございます。

そうですね、ニューメキシコで、長崎に落とした物と同じ物を使って実験していますね。1ヶ月前に。。エノラゲイがパイロットの母親の名前とは知りませんでした。ニューメキシコの実験名も、信じられませんが、トリニティーって呼ばれているんですよ。。おっしゃる通り、理解に苦しむものがありますね。

と同時に、アメリカに住んでいて思い始めたのですが、アメリカの大統領制は、ある意味で絶対君主制に近いのかな、と。結局、何でも鶴の一声。下はアカウンタビリティーがなくなってしまいます。。

トルーマンは、フランクリンルーズベルトの急死で、原爆実行となりましたが、強烈に推し進めていたのは、ルーズベルトだったので。。彼が急死していなかったら、もっとひどい事になっていたかもしれないです。その当時のマッカーサー始め軍隊の幹部や、共和党の政治家、後に大統領になるアイゼンハウワー等の超名人は、皆原爆投下に猛反対だったと聞きました。トルーマンはそんな中、ソ連との外交に優位に立てる為に原爆投下を使ったみたいで、反対を押し切って実行したみたいです。

日本の戦争中も、地域によって随分違ったのですね。。ほんとに、戦争の無い平和な世の中になる事を祈らずにはいられません。
by Zunko (2007-08-21 10:11) 

newyork

本文も皆様のコメントも、考えさせられることばかりです。祖母が私の父を産んだのが7月。終戦間際でした。今でも祖母は戦争の話をしてくれます。隅田川の橋は荷物を荷台いっぱいに積んだ人達の山で、それを包んでいるお布団は火で焼けているし、人々は隅田川に飛び込んで火を逃れようとするが、川は火の海でその人達は即死。そんな中を逃げ回った話を聞きました。Zunkoさんのおっしゃっている、「人それぞれこの地球上で持ち味があって、役割があって。私は文章を書く、なのかもしれないですし、らおうさんは、お写真だと思うのですよね。。」これから、私達に何ができるのか、考えていきたいです。私には音楽なんです。ここ最近、世界平和の為に私には何ができるのか、というのを真剣に考えさせられる機会があって、NYには国連もあるし、そういうことに係わっている人達などにも出会い、音楽を通じて、人間愛、伝えられる時がくることを願っています。
by newyork (2007-08-22 13:11) 

Zunko

newyork さんへ こんにちは♪
ナイス&コメント 有難うございます。

そうでしたね。。Newyorkさんも、江戸っ子ですよね♪ 東京大空襲の話は本当に胸が痛みます。新宿の住友ビル(だっけかな?)に、戦争の展示場があるんです。実際に戦争を経験された方の持ち物とか、です。焼け焦げたもんぺだったり、徴兵の赤紙だったり。。

音楽こそ、平和へのメッセージだと思います。らおうさんもおっしゃっていますが、音楽が自由に聞ける事自体が平和の象徴。。Newyorkさんができる事、きっと無限大なのだと思います。

私も、自分に何ができるのか、と日々考えています。このNewyorkさんのメッセージを読ませて戴く前のメッセージにお返事を書いたのですけれど。。カリフォルニアには、日系二世の方で、アメリカ人でありながら、敵国とみなされ、強制収容所に入れられたり、アメリカの為に軍隊に加入するのを苦労された方達がいらっしゃるんですね。。何か平和の為に、できるかもしれないですね。。
by Zunko (2007-08-22 16:59) 

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