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Living now and here ④ [亜米利加生活]

2020・4・10

Stay at home order / working from home day 23/28

サンディエゴは、有り得ない位の豪雨でとても寒いです。
今ではアメリカ人も皆フェースマスクをしています。
そしてスーパーではマイバッグが持ち込めなくなりました。
自宅謹慎令が州から発令されて23日、
段々、規律と管理が厳しくなって行く様を見ていると、これが行き着く先が恐ろしい。

日本の、自粛要請、休業協力要請、と言う表現が正しいのかも、と納得したり。

雨が今週ずっと降っているのは、サンディエゴよ、外には出るな、
と言う、天からの思し召しでしょうか。

アメリカは42州、DC、Guam、Puerto RicoがStay-at-homeのオーダーが出ていて、
人口の95%、3億600万人が自宅軟禁中。
過去3週間で失業保険の申請をした人は千六百万人、労働人口の約10%。
コロナウイルスで最も影響を受けているブルーカラーワーカーは
移民が多い事が浮き彫りになっていて、いかにアメリカの経済が
移民達に支えられている事が顕著化したと同時に、
貧困層のVulnerabilityも明らかになって来ています。
貧困層は(年収250万円以下)、違法移民がいる、英語がろくに話せない、
医療保険を持たない、疾患が多い、肥満が多い等々、コロナウィルスに
犯されると重症化しやすい状況にあります。

この状況が長期化する事によって、長期的にどう影響するか、全く不明。

ひとつわかるのは、今までの当たり前が当たり前で無くなる事。

でも今を、ここでしか生きていない私には先の事など関係ない。
一日一日を楽しく一生懸命生きるのみ。
それはとても愉快な生き方。

Going nowhere  Living Now and Here
ずっと前に、このブログでも、Living now and here (going nowhere)という事を偉そうに
書いた事がありました。

丁度2年前に書いた記事の中に引用しています。こちら

その時は、本当の意味をわかっていませんでした。
Living now and hereの意味を。。こうしてどこにも行けなくなるまで。

今、ここで生き始めると、どんどん内側に深く深く入って行きます。
内側に入れば入るほど、意識は外に向かって行きます。
内側に入ると、私達の本当の自分につながり、それが更に私達のハイヤーセルフ(高意識)と
つながります。意識が外に向かうと、周りの人、コミュニティー、国、そして地球、宇宙、ワンネスへと思いが行きます。
春分の日に、陰と陽の話をしました。
陰と陽は、お互い依存して、ひとつのコインの表と裏の様に。光と影の様に、
男性性と女性性の様に、精神的と物質的の様に、相反するサイド。

でも両サイド、バランスを取る事が必要、何故なら、どちらかを否定すると、
どちらも否定する事になる。どちらかだけを取ると、バランス崩れて存在不可能。

どちらかを深く行けば行くほど、もう一方も深く行ける
今は、どこにも行かず、一箇所に滞在する事を求められている。
自分を深く理解する、最高のチャンス。
自分を深く理解すればする程、他人の事も見えてくる。
自分の内側を理解すればする程、自分の外側も理解できる。

高く飛び上がる為に低くかがむように。

これを機会に己を深く理解して。それによって、自分の外側、コミュニティー、国、地球、そして宇宙を理解する。そうすると見えてくるのは、このコロナウィルスが国境を越え、人種を超えて繁殖して行った様に、この地球上に、国境も人種もなく、ただ同じ地球上に住む同じ人類と言う事が見えてくる。




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Living now and here ③ [亜米利加生活]

2020・4・4

大丈夫ですか、日本? 何故なのですか? と書いたのが2月21日。
たった一か月半位前の事なのに、私の中では何十年も前の様な気がして来る位、
状況は変わり、私も変わりました。

自粛と言うのに、要請するとはこれいかに。。。
緊急と言うのに、明日発令するとはこれいかに。。。

不思議の国、日本。。

私は、心の底から故郷、東京を心配しているので、
アメリカ、特にCOVID19の患者の半数以上がいるニューヨーク州や
その近辺州で格闘されているお医者様達が
書いていらっしゃる内容を下記にまとめるので、
どうか、私の日本のお友達は、この事実を認識して、
ご家族やお友達に、これを宣教師の様に伝えて下さい。
日本政府はもうあてにならぬ。
Word of Mouthで、一人でも多くの方に生き延びて頂く為に。。。お願い致します。

日本のコロナウィルスの感染者が低いのは、ラテン国と違って、
ハグやキスはしない、大声で話さない、靴は家ではかない、
日頃からうがい、手洗いを良くする、マスクを着用する、
国民皆保険制度で、早い段階で医療サービスが受けられる。。
と言う理由があるのかもしれません。

でも、世界中で既に何か月と言う歳月をCOVID19と戦って来た経験から、
このコロナウィルスで、わかって来た事実があります。

COVID19は。。
ー感染力が滅茶苦茶高い。
ー重症化したら、高い確率で死ぬ。
ー毒性が極めて強い。(これは、違うウィルスがあって、毒性の弱いのもあるそうです)
毒性の強いウィルスが、鼻水や唾液の中に物凄く沢山入っている。
話すだけで回りにウィルスがまき散らされる。
くしゃみをしたら、大量の飛沫をまき散らし、それが空気中に3時間は漂っている、
プラスチックの表面では3日生き延びた、と言う研究結果がある。
ーこの毒性の強いウィルスに対して、人間の免疫力が強く反応して、
多臓器にダメージが生じるサイトカインストーム(cytokine storm)が起きる。
肺が最初にやられるが、腎臓等にもダメージが出て、シ
ョック状態になり、最後は心肺停止で亡くなる。
ー初期段階の症状なら、ある程度効く既存の薬がある。
ー一度重症化したら、既存の薬はほとんど効果なし。
対症療法しかない。呼吸困難になったら、人工呼吸を繋いで、
それでもだめならECMOを使って症状を何とか緩和する努力をする。
そこまで行くと、残念ながら、人口呼吸を外して自分で呼吸できる様になった例はない。
ー重症化してから亡くなるまでは1週間程度。
ICUの医師が何とか持たせた結果。もし人口呼吸やECMOがなければ、2-3日で亡くなる。
ー全く重症化していなかったのに、ごく短期間で症状が激変して亡くなる人もいる。
このウイルスの重症化のメカニズムは、まだはっきりとは解明されていない。
ー 人によって出る症状が違う。

東京は、人口はもっと多いのに、イタリアやニューヨークより
ICUのベッド数が少ないと聞きます。イタリアやニューヨークでは、
命の選択が始まっていると聞きます。ICU室で、何を基準に人工呼吸器を外すか、
つけないか、の選択。患者の数より、人工呼吸器の数が少ないのです。
ニューヨーク州知事の毎日の記者会見では、
ここ数日、この事(人工呼吸器が足りない)ばかり言っています。 

東京は、そうなって欲しくないです。

できるだけ外出しない。移動しない。
人混みに行かない。人と距離を開ける。

大事です。
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Living now and here ② [亜米利加生活]

2020.2.21

余りネガティブな事は言いたくないものの、
私は祖国を愛しているので敢えて進言。コロナヴィールスの対応に関して。。

日本って、こんな国でしたかね。
私は今回アメリカに居を移して約20年過ぎるので、
私が住んでいた頃の日本の記憶は薄れて行き、
年にせいぜい2,3度位しか日本に帰らないので、
現状はNHKのニュースやソーシャルメディアの記事で位しか分からないのですが、
日本、かなりやばくないですか?

東京にいると駅や空港で、
白線の内側で下がってお待ちください、
こちら側に立ってお待ちください、手やカバンは引いてください、押さないでください、等々、
やたらに指示が多くてげんなりします。が、
それは駅や空港の経験のみならず、銀行やスーパーでもしかり。
更に言うと、台風や洪水が起こった時に
NHKのアナウンサーが、命を守ってください、と言う報道にいつも驚くのです。

そんなに細かく指示しなければ、
常識で判断して他人に迷惑かけない様に振る舞うとか、
危険から身を守ると言う判断ができないのか?と。

私の日本人の友達、会社の先輩方達にはいらっしゃらないのですが。

外から見ていると、日本人に自己判断力がない?
それとも自分で判断して行動する事に責任を取りたくない?
accountabilityの問題? 平和すぎてボケて、危機感がゼロ?
日和見主義で何とかなるや位の姿勢?
指示がないと自分で判断して動かない?
指示通りにしか動かない?

政府には国民を守るという姿勢がゼロ?

大丈夫ですか、日本? 何故なのですか?
とコロナヴィールスの対応に関するニュースを見ていて、そう問いかけてしまいます。

アメリカより日本はたくさん素晴らしい文化があり、
それを愛でる情緒豊かな国民と思っていたのですが、
それは過去のものになってしまったのでしょうか。

アメリカの政府も酷いですが(笑)、国民を守るという意識とその組織は確立されていて、
例えば今回の様な伝染病の場合は、それを専門とするCDCが政府と連携して対応しますし、
中国やクルーズシップに軟禁状態だったアメリカ人を自国に戻す為に
真っ先にチャーター便を送ったのもアメリカですし
(バラバラ帰国されるより、集団quarantineをした方が拡散防げる
と言う意図もあったと思いますが) 、サンディエゴには二人、
感染者が出たのですが、即非常事態宣言をして、
十分な予算とdecision making processが迅速に出来るように政府は対応しています。

毎日、北海道から沖縄まで感染者が出た、死者が出た、と報告されていますが、
このまま毎日感染者や死者が増えていくのをただ見守るしか出来ないのでしょうか。

いつも祖国の為に力になりたいと思っているのですが、
私に何が出来るでしょうか。。。と自分に問いかけています。
今は、これ以上コロナヴィールスが日本や世界に拡散しないよう、
私のお友達や家族達が無事である様に、心から祈っています。
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Living now and here ① [亜米利加生活]

2020/4/10

前回、書いたのが、2年前の丁度今頃。
アクセスできるのかなあ、と思いながら、
恐る恐るアクセスしてみると、これができる。。
何も変わっていない。変わっているのは、
私のページが報告だらけで見にくい。
2年も更新していなければ、広告に乗っ取られてしまうのも仕方がないのか。

皆様、如何お過ごしですか?2年も更新していないのに、
登録されている読者は増えているし。
記事を読んで下さっている方の人数も増えている。
有難い事です。

Corona virus..この言葉を毎日毎日毎日毎日聞き続けて、
コ、と聞くだけでうんざりするこの頃ですが、
私が思う事をFacebookに書いた所、日本のお友達から、
日本には余り情報が無いので有難い、と言うコメントから、
アメリカに住んでいる日本人に何がわかるんだ法律も知らないくせに、
と言う非難から、様々なコメントを頂きまして、
これは、このブログに書いたら、
少しは日本のお役に立てるかもしれない,
もしくは、いつかの韓国対日本の野球の試合の時の様に、
袋叩きで炎上するかもしれない(笑)と思い、
こちらにも書く事に致します。
私は、少しでも日本のお役に立てるなら。。'
と言う心で、これを書いております。
決して、政治家がどうだとか、日本は駄目だとか、
非難の気持ちからではありません。
そう感じるのは、読んでいるあなた様が
そう言う考えをお持ちだからです。

私は、今年の1月26日から2月2日まで、東京に出張に行きました。
私は、2月以降に行きたかったのですが、このスケジュールで
東京に行ったのは、私の都合ではなく、
出張の目的だった先方のご都合から、でした。
が、結果的にここが、出張で東京に行けた
当面の最後のチャンスだったかもしれない、
と言う事が後で判明しました。
何故なら会社が、2月に入り、出張禁止令が出たからです。

そして、私は、3月の第1週目に、
今シーズン初のスキーでマンモスまで行きました。
私は、これが今シーズン初で、
更に4月以降も雪があればスキーに行きたいと思っていました。
しかし、これが、今年スキーができた最後の週末だった、
と言う事が後で判明しました。
何故なら、次の週から、カリフォルニア州のスキー場全てクローズしたからです。

そして私は、3月14日に、ヨットレースに参加し、
その後、同じ船に乗った仲間と、
レストランで飲み食いをしました。
しかし、これがヨットに乗って海に出る
当面の最後のチャンスで、
レストランで夜騒ぐ当面の最後のチャンスと言う事が後で判明しました。
何故なら、このレース以降、全て中止になり。
この夜の会合の5日後に、カリフォルニアで外出禁止令が出たからです。

かろうじて、3月中旬まで、やりたい事がぎりぎりできた、相変わらず悪運だけは強し。

私が東京に出発する1月26日(日)は、中国の旧正月の週末でした。
飛行機代が滅茶苦茶高く、私はサンディエゴからの直行便が乗れず、
仕方なくロスアンゼルス経由で行ったのですが。
この出発の数日前に、Covid19が中国の武漢で
勃発した事が報道され始めました。
(中国政府が隠していたのがばれただけで、
このウィルスが勃発したのはもっと前だったと言うのが後でわかります)。
私は多少の不安を感じながらも、
いつも通り、マスクをしていれば大丈夫だろう、
位な気持ちで東京に行きました。行きの飛行機内でも、
マスクをした事を余り見た事がないアメリカ人でもマスクをしていました。

アメリカに戻ってくる2月2日、成田にたくさんの中国人の観光客がいて、
すれ違うたびに恐怖を感じていました。
その時は未だアメリカは大騒ぎになっておらず、
普通にアメリカに帰国したのですが、丁度私が東京にいた時に、
横浜で停泊していたクルーズシップで感染者が出て大騒ぎになっていて、
感染した後の潜伏期間が2週間、と言う事を言っていたので、
私はアメリカに戻った後、万が一の為に、2週間の行動範囲を
自分で記載していました(どこで誰に会ったか)。
結局、私自身も発病しなかったし、
会った人々が具合悪くなったと言う事もありませんでした。

そして、2月、3月と、普通にいつもの生活を続けていたのですが。
3月13日から、私の会社が自宅勤務推奨。そして、3月18日迄に私が通う、
ジムやダンススタジオが閉まり、3月19日に、カリフォルニア州から、
自宅待機の命令が発令。。そこから基本的に、重要な用事以外、は外に出られなくなりました。

それでも、最初の頃は、散歩の為に外に出るのはオーケーと言っていたのです。
が、自宅待機命令が発令された後の週末が、天気が物凄く良く、ビーチやハイキングトレイルが
大変混雑した為に、その後、州や市が営業するパブリックのビーチ、公園、
ハイキングトレイル等の駐車場を全て閉めてしまう、と言う事が始まりました。
車では行かれないのですが、歩いて入る分にはオッケー。
しかし、その後は、坂道を転がり落ちる様に、段々厳しくなって行き、
今では、ビーチやサイドウォークに入ることも禁止、
6フィート離れてさえいれば、10人以下は集まることが許されていたのが、
今は、集まる事自体が禁止。
スーパーは、カリフォルニア州はプラスティックバッグを禁止にしたので
自分のバッグを持って行くのが当たり前になっていたのですが、
自分のバッグの持ち込みは禁止になり。マスク着用が義務になり。

こうして、3月19日に、自宅待機令が出て以来、
段々厳しくなって行く規制とその規律を目の当たりにして。
日本の第2次大戦中の憲兵隊は、こうして出来上がって行ったのだろうな、とか。
国民一丸になり、国の為に、を名目に、国家総動員法がでてきたのだろうな、とか、
そう言う事を、肌で感じています。

そう言う観点から、日本が、強制ではなく、あくまで外出自粛要請、であり、
命令ではなく、事業者に対して休業協力要請、である理由がわかる気がしております。


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未だ続きがあった、アメリカの歯医者。 [亜米利加生活]

2018年4月8日

気がつくと、私は自分のベッドに座っていて、私の寝室のドアは開いていた。
そのドアの所に、母と父が手をつないで立っていた。
母は、私達が棺に入れた社交ダンスのドレスを着ていた。赤いシャツに
黒のフレアースカート、黒のダンスシューズ。とても楽しそうに、満面の笑顔で
”さあ、踊りましょうよ。”と言って、父の手を引っ張っていた。
父は、普通に白のワイシャツとズボンで、父独特の高笑いで、
”困ったなあ、どうやって踊るか、わからないよ。”と言って
ちゅうちょしていた。”大丈夫よ。私が教えてあげるから”と
母は、更に父の手をひっぱり、二人は私の寝室から、
反対側の部屋に向かって走っていったので、私はベッドから降りて、
二人を追いかけて反対側の部屋に走っていったが、二人の姿はなく、
私は部屋をきょろきょろしている所で目が覚めた。目が覚めた時に、
もちろんベッドに横たわっていたのだが、果たして今のは夢だったのか、
現実だったのか、わからない位、はっきりした画像だった。
私がこれほどクリアーな夢を見て覚えているのはとても珍しい事。

その反対側の部屋は、お仏壇を置いて、毎日両親の成仏を祈っている部屋。

これが初めて見た、両親の夢。それ以来、夢にも出て来ない二人。

でも、相変わらず、二人からのメッセージは時々舞い降りて来て。
二人から見守られている事を気づかされる。

今年の大河ドラマ、セゴドンで、西郷隆盛が相次いで祖父、両親を亡くした
エピソードの時。西郷隆盛の母が、彼の背中で静かに息を引き取るシーン。
その時の台詞に、吉之助は心が熱過ぎて、つい情けに負ける。
これからは、吉之助の好きな様に生きなさい、
私は吉之助の母で幸せだった、と言うのがありました。

紛れもない、私の母の言葉。

今日は、昨年母が亡くなった辺りから、全く手を付けていなくて、
ブーゲンビリアが巨大化して2階に届く位になり、隣の家から、
朝顔が伸びて来て、私のバラに覆い尽くして荒れ放題だったパティオに
庭師がやってきて、綺麗にしてくれています。
ので、庭師がお仕事終わるまで、こうして家にいなければならないので、
いつでも庭師に対応できる様に、ブログを書いて時間をつぶしています。
(ブログは、時間つぶしですか?って感じですが・笑)。

実は、2月に日本に戻った時に、何着か残した母の着物で、
昨年10月に持って来られなかった着物を持って帰って来たのですが、
そのスーツケースの半分、着物が入っている方は、3月末まで手を付ける事ができず
リビングルームに放置されていました。
拙ブログを読んでいる方はご存知かもしれませんが、日本に里帰りした後に、
うつになりやすい状態を、私はポスト里帰りシンドロームと名づけまして(笑)。

更に、テーブルの上には、10月に持って帰って来た母の品や書類やらが、
全く手を付けずにつみ上がっていたままでした。
母は、ずっとパスポートを更新し続けていました。私に何かあったら、
直ぐ渡航できる様に、と言っていたのですが、本当にずっと。
そのパスポートが全部出てきて、捨てられずに持って帰って来たのですが。
その山に埋もれたままでした。

それを、3月末に片付けて、今こうして、昨年8月から
開かずの間になっていたパティを綺麗にしているので、私なりに、
やっと前進し始める事ができている様に思います。

最後の記事が記事なだけに、元気でやっている近況をお知らせしようかと思い、
普通にブログ書いてみます。未だに大変アクセスの多い、アメリカの歯医者、
と耳垢の記事ですが、歯医者の方。観光旅行では経験できない、アメリカの
日常生活の記事がアクセス多いですね。

エピローグまで書いて、終わったかと思いきや、歯医者の話は、実は、
未だ続きがありましてね。これで終わって欲しい、と願っていますが、
果たしてどうなる事やら。。

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