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Living now and here ① [亜米利加生活]

2020/4/10

前回、書いたのが、2年前の丁度今頃。
アクセスできるのかなあ、と思いながら、
恐る恐るアクセスしてみると、これができる。。
何も変わっていない。変わっているのは、
私のページが報告だらけで見にくい。
2年も更新していなければ、広告に乗っ取られてしまうのも仕方がないのか。

皆様、如何お過ごしですか?2年も更新していないのに、
登録されている読者は増えているし。
記事を読んで下さっている方の人数も増えている。
有難い事です。

Corona virus..この言葉を毎日毎日毎日毎日聞き続けて、
コ、と聞くだけでうんざりするこの頃ですが、
私が思う事をFacebookに書いた所、日本のお友達から、
日本には余り情報が無いので有難い、と言うコメントから、
アメリカに住んでいる日本人に何がわかるんだ法律も知らないくせに、
と言う非難から、様々なコメントを頂きまして、
これは、このブログに書いたら、
少しは日本のお役に立てるかもしれない,
もしくは、いつかの韓国対日本の野球の試合の時の様に、
袋叩きで炎上するかもしれない(笑)と思い、
こちらにも書く事に致します。
私は、少しでも日本のお役に立てるなら。。'
と言う心で、これを書いております。
決して、政治家がどうだとか、日本は駄目だとか、
非難の気持ちからではありません。
そう感じるのは、読んでいるあなた様が
そう言う考えをお持ちだからです。

私は、今年の1月26日から2月2日まで、東京に出張に行きました。
私は、2月以降に行きたかったのですが、このスケジュールで
東京に行ったのは、私の都合ではなく、
出張の目的だった先方のご都合から、でした。
が、結果的にここが、出張で東京に行けた
当面の最後のチャンスだったかもしれない、
と言う事が後で判明しました。
何故なら会社が、2月に入り、出張禁止令が出たからです。

そして、私は、3月の第1週目に、
今シーズン初のスキーでマンモスまで行きました。
私は、これが今シーズン初で、
更に4月以降も雪があればスキーに行きたいと思っていました。
しかし、これが、今年スキーができた最後の週末だった、
と言う事が後で判明しました。
何故なら、次の週から、カリフォルニア州のスキー場全てクローズしたからです。

そして私は、3月14日に、ヨットレースに参加し、
その後、同じ船に乗った仲間と、
レストランで飲み食いをしました。
しかし、これがヨットに乗って海に出る
当面の最後のチャンスで、
レストランで夜騒ぐ当面の最後のチャンスと言う事が後で判明しました。
何故なら、このレース以降、全て中止になり。
この夜の会合の5日後に、カリフォルニアで外出禁止令が出たからです。

かろうじて、3月中旬まで、やりたい事がぎりぎりできた、相変わらず悪運だけは強し。

私が東京に出発する1月26日(日)は、中国の旧正月の週末でした。
飛行機代が滅茶苦茶高く、私はサンディエゴからの直行便が乗れず、
仕方なくロスアンゼルス経由で行ったのですが。
この出発の数日前に、Covid19が中国の武漢で
勃発した事が報道され始めました。
(中国政府が隠していたのがばれただけで、
このウィルスが勃発したのはもっと前だったと言うのが後でわかります)。
私は多少の不安を感じながらも、
いつも通り、マスクをしていれば大丈夫だろう、
位な気持ちで東京に行きました。行きの飛行機内でも、
マスクをした事を余り見た事がないアメリカ人でもマスクをしていました。

アメリカに戻ってくる2月2日、成田にたくさんの中国人の観光客がいて、
すれ違うたびに恐怖を感じていました。
その時は未だアメリカは大騒ぎになっておらず、
普通にアメリカに帰国したのですが、丁度私が東京にいた時に、
横浜で停泊していたクルーズシップで感染者が出て大騒ぎになっていて、
感染した後の潜伏期間が2週間、と言う事を言っていたので、
私はアメリカに戻った後、万が一の為に、2週間の行動範囲を
自分で記載していました(どこで誰に会ったか)。
結局、私自身も発病しなかったし、
会った人々が具合悪くなったと言う事もありませんでした。

そして、2月、3月と、普通にいつもの生活を続けていたのですが。
3月13日から、私の会社が自宅勤務推奨。そして、3月18日迄に私が通う、
ジムやダンススタジオが閉まり、3月19日に、カリフォルニア州から、
自宅待機の命令が発令。。そこから基本的に、重要な用事以外、は外に出られなくなりました。

それでも、最初の頃は、散歩の為に外に出るのはオーケーと言っていたのです。
が、自宅待機命令が発令された後の週末が、天気が物凄く良く、ビーチやハイキングトレイルが
大変混雑した為に、その後、州や市が営業するパブリックのビーチ、公園、
ハイキングトレイル等の駐車場を全て閉めてしまう、と言う事が始まりました。
車では行かれないのですが、歩いて入る分にはオッケー。
しかし、その後は、坂道を転がり落ちる様に、段々厳しくなって行き、
今では、ビーチやサイドウォークに入ることも禁止、
6フィート離れてさえいれば、10人以下は集まることが許されていたのが、
今は、集まる事自体が禁止。
スーパーは、カリフォルニア州はプラスティックバッグを禁止にしたので
自分のバッグを持って行くのが当たり前になっていたのですが、
自分のバッグの持ち込みは禁止になり。マスク着用が義務になり。

こうして、3月19日に、自宅待機令が出て以来、
段々厳しくなって行く規制とその規律を目の当たりにして。
日本の第2次大戦中の憲兵隊は、こうして出来上がって行ったのだろうな、とか。
国民一丸になり、国の為に、を名目に、国家総動員法がでてきたのだろうな、とか、
そう言う事を、肌で感じています。

そう言う観点から、日本が、強制ではなく、あくまで外出自粛要請、であり、
命令ではなく、事業者に対して休業協力要請、である理由がわかる気がしております。


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