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一夜賢者の偈 [亜米利加生活]

2018年3月1日

月日は百台の過客にして、行きかふ年も又旅人也。

私の好きな芭蕉の奥の細道の冒頭ですが。

私の最後のエントリーが、昨年の8月11日だったのを見て、唖然。

もう、半年が経過してしまった。ハロウィーンが過ぎ、サンクスギビングが去り、クリスマス、年末が去り、新年を迎え。節分に立春が過ぎ。旧正月も去り。

そして3月になり・・。アメリカは来週末夏時間が始まり、イースターが来て、メモリアルデー、独立記念日、レイバーデーと過ぎたら、

またあっと言う間に、ハロウィーン、サンクスギビング、クリスマス、年末そして正月。

光陰矢の如しと言いますが、来ては去り、去っては来る日々が、芭蕉の言う様に、旅人と同様。

かと言って、旅人が全て同じではない様に、毎日過ぎていく日々も、全く同じであるはずはないのに。

いたずらに月日だけが過ぎていて。月日は重ねているものの、自分はどれだけ成長しているのか、ただ老いて行くだけなのか。

そんな風に思う今日この頃。

ご無沙汰を致しております。皆様におかれましては、お元気でお過ごしの事と思います。日本は今年特に寒いみたいで、どうぞ暖かくしてお過ごしくださいね。

私は、文頭から訳の分からない事を言っているのでおわかりの通り、相変わらず、変わらず元気でやっております。

なんか、外国人の名前で、変な日本語のコメントがずっと続いているのですが。。パスワードを書かないとコメントは書けないはずなので、
どうブロックして良いやら。。どなたかご存知でしたら、こそっと教えてください。外国人の名前をクリックすると、何かのウエッブに飛ぶので、
宣伝の為にやっているのではないか、と思ったりしています。

昨年はもっとブログを書く予定です、と公言していたにも関わらず、結局3回しか書きませんでした(汗)。有言不実行とは情けない事です。

私の場合、書きたい事が多すぎると全く書けない、と言う状況に陥ります。それなら、少しずつ書けばよろしい、と言われそうですが。

子供の頃から、少しずつ、着実に、コツコツと何かを成し遂げると言うのが大の苦手でして。いつもぎりぎりにならないと手をつけず。

夏休みの宿題を最後の1週間で終わらせる、試験準備を前日徹夜でやる、覚えなければいけない振り付けを本番前の1週間で覚える、旅行のパッキングを出発の当日の朝やる等々。

あげればきりがないのですが、ぎりぎりになって追い詰められたパワーで何とかする火事場の馬鹿力。

因みに。このやり方でも締め切りを守れなかった事はありませんので、私にはこのやり方があっているのだと思う様にしています(だから進歩がない・笑)。

2017年は、私にとって、大きな変化がございました。

両親が相次いで永眠致しました。

こんなに淡々と書くのですか?と驚く自分もおりますが、先ほど申し上げた通り、書きたい事がありすぎると逆に書けない私を受け入れています。

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このブログにも書いた事があるのですが、私がカリフォルニアに移動した理由の一つが日本に近い。家族に何かあった時も即飛んで行く事ができる。

東海岸に住んでいると、ニューヨーク、シカゴ、ワシントン等、日本への直行便がある都市ではまだ何とかなるのかもしれませんが、

私が住んでいたマイアミやノースカロライナの様に、日本行き直行便の無い都市ですと、乗り換えをしなければならない為、日本がとても遠くなり。

その遠さは、物理的から始まって心理的になり。やがて億劫になって日本に行くのが面倒になり。そう言う日本人が近くにいたのを目の当たりにして危機感を覚えて、

そうはなりたくなかったので、カリフォルニア移住を決断しました。

この考えが正しかった事は、今回両親を亡くした事で証明されました。

母が危ない、と言う知らせがあったのは、8月ある日の早朝。その後、飛行機会社に電話してチケットを取り、その日のサンディエゴ発、

JAL直行便で成田へと出発できました。サンディエゴからの直行便ができたおかげで、出発はお昼過ぎですので、それまでパッキングをしたり

旅の支度が十分できる時間的余裕がありました。サンディエゴの直行便がなければ、ロスまで(車で約2時間)行かなければならず、

着の身着のまま飛び出すか、状況次第では翌日の便になっていた可能性があると思うと、京セラの稲盛様様、です。
(注、京セラのアメリカ本社はサンディエゴにあり。サンディエゴのJAL直行便は稲盛さんがJALの会長で経営立て直しをされていた時、就航)

本当に有難い事です。しかしながら、出発する前に、母は亡くなり、死に目には会えませんでした。

そして、母が亡くなった約3か月後の12月ある日、父もぽっくりと亡くなりました。

母が亡くなった時の父の落ち込みは筆舌に尽くし難く、もしかしたら、父もそう長くは生きないのではないか、と思っておりましたので。

父が亡くなったと連絡を受けた時は、やはり、と言う気持ちの方が強く、不謹慎に聞こえるかもしれませんが、安堵の気持ちの方が強かったのが正直な所です。

これで天国で二人一緒にいられる、と言う安堵の気持ちです。

私も父の様な死に方をしたい、と毎日お仏壇に手を合わせて両親にお願いしているのですが(話はそっちに行くかい?笑)、

こうして日本を離れてからは、親の死に目には合えないと言うのを覚悟していたので、それに対する怒りの気持ちはありませんでしたが、

両親が生きている間に、日本に住み、両親ともっと一緒に時間を過ごす事ができたし、もっと色々な事を一緒にできたし、もっと親孝行ができたのに、と。

こうして日本を離れてしまった事自体を、恨み、悔やみ、悩み、後悔し、と言う日々がしばらく続きました。

カリフォルニアに引っ越してから、半年毎に一度、日本に里帰りし、それを昨年までずっと続けていた事は、本当に良かったと、それだけが救いでした。

が、今も時々、後悔しては、ああだ、こうだ。。と。以前、私のブログにも書きましたが、ウダ、ク゚ダ、シユダ(would’ve, could’ve, should’ve)

日本語だと、たられば(これTVドラマの主題になっていましたね、私のブログ見ましたかい?笑)。

あの時こうしていれば、こうだったはずなのに、あの時、こうすべきだった、あの時、こうできたのに、何でしなかったか。。等々。

そんな時に、ある日、メッセージが降りて来ました。

亡くなった人と会話ができる友達がいるのですが(そう言う事ができる方は皆、同様の事を言われていますが)、

その友達曰く、亡くなった人からのメッセージは色々な形で来るが、必ずそれが誰からのメッセージかわかるはずだ、と。

色々な形と言うのは、突然思いついた言葉だったり、突然目に付いた言葉だったり、物だったり、突然耳にした音楽だったり、の様です。

私に降りて来たメッセージと言うのは、突然目に留まった、あるインターネットの記事でした。

それは、一夜賢者の偈(いちやけんじゃのげ)。蘊蓄たれの私でも知らない言葉でした。

お釈迦様の言葉、仏教の教えだった様です。

自分の為に、引用します。

一夜賢者の偈
過ぎ去れるを追うことなかれ。
いまだ来らざるを念(おも)うことなかれ。
過去、そはすでに捨てられたり。
未来、そはいまだ到らざるなり。
されば、ただ現在するところのものを、
そのところにおいてよく観察すべし。
揺らぐことなく、動ずることなく、
そを見きわめ、そを実践すべし。
ただ今日まさに作(な)すべきことを熱心になせ(後略)
私の目に留まった、インターネットの記事は、紹介がここで止まっていたのですが、この一夜賢者の偈(いちやけんじゃのげ)にとても興味を持ち、
更に検索をしてみましたら、この文章の続きがありました。

       明日、死のあることを誰が知ろうか。
       かの死神の大軍と
       会わないわけはない。
       このように考えて、熱心に
       昼夜おこたることなく励む人、
       このような人を一夜賢者といい、
       寂静者、寂黙者と人はいう。 

過去は現在の原因であり、未来は現在の結果であり、仏教の教えの通り、今、現在こそ問題であり、今、ここ、私が大事である。
過ぎ去った事をくよくよ思い、惑ったり、未だ来ぬ事を取り越し苦労したりしないで、2度とない今日という日が、
最も尊い事を説いている教えなのです。

このインターネットの記事を読んだ時に、即、父からのメッセージだとわかりました。
過去を悔やまず、これからの1日、1日を大切に生きなさい、と。。後悔している私に、そう伝えてくれたのでしょう。

そして、おまけは。 “明日、死のあることを誰が知ろうか。”

自分も、まさかあの日に死ぬとは夢にも思わなかったから、お前も、いつ死んでも良い様に、悔いなく生きなさい、と。

帰国して、父と杯を交わす時、いつも父は、自分の人生をとても後悔している、と言う話になりました。
逆に私が、そんな後悔したって過去は変わらないんだから、時間がもったいない、と言った位です。
なので、父は死んでから後悔して生きていた事を後悔して、私に、今を大切に生きなさい、と言ってくれたのかな、と。
私の勝手な妄想ですがね。でも、とても嬉しくて、暫く涙が止まりませんでした。今も時々無性に両親に会いたくなって、涙が止まりませんけれどね。


私のフェースブックにも書いたのですが、母が、たとえ何があろうとも、私と言う人間を無条件にありのまま受け入れてくれて、
いつでも帰れる場所の象徴であるなら、父は、常に私の前を行く、道しるべの様な存在でした。

昨年私は、一度に帰る場所も、先を行く道しるべも失ってしまいました。特に、母の持ち物をほとんど処分した後は、何だか、自分が日本にいた記録すら
全て無くなってしまった様な気がして。糸の切れた凧の様な、風来坊と言いましょうか、ノマドと言いましょうか、それともジプシーか、
になった様な気がしました。なので、風に吹かれるまま、着の身着のまま、流れる方向へと流れて行きましょうか、と言う感じです。

そう言えば、自分もこの拙ブログで書いた事がありましたね。どこにも行かず。Nowhere => Now and Here.

過去の拙ブログから、その時のエントリーを引っ張り出して来ました。 こちらですね。

movin' out to nowhere


未だノースカロライナに住んでいた時に、ビリージョエルの曲を基にしたミュージカル
Moving  Outを見に行った後、書いた記事。

Moving Outとは、いち抜けた~、とか、そんな生活ならまっぴら御免だ、生き方を変える決心の表れだ、と読んでいる方々からご指摘を受けましたが。

私は、ミュージカルを見た後に、私が受け取ったメッセージは、苦しみや辛さからは決して逃げられないのだから、それらと対峙してこそ、
抜けられるのだ、と。なので、どこにもいく必要がない、Moving out to Nowhere と解釈した訳ですが。

このエントリーは、2007年の1月7日。実はこの記事を書いた約3か月後の2007年3月末に、ノースカロライナからサンディエゴへと
引っ越しして転職した、まさに劇的の変化を迎えました。その変化が起こる前に見た、Moving Out..
なんだ、結局、ノースカロライナから出ていく、と言う事を暗示されたメッセージだったのではないか、と。

皆さん、昨年の皆既日食を覚えていますか?2017年8月21日。この皆既日食が起きた日と同じ星回り(西洋占星術の方)だったのが1999年8月11日の皆既日食の星回りと
似ていたそうで、占星術師の何人かが、1999年に上がった課題と同様な事が起こる可能性がある、と言われていました。
私は、1999年、人生で最も大きな変化を迎えた年の一つなので、きっと大きな変化が起こるのだろう、と思っておりましたが、ほんとにその通りになりました。

書く事がありすぎると、何か書けない、なんて良く言うよ、ですよね(笑) 書き出せば、すらすら書けるのは、変わらない様です。

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YAP

久しぶりにRSSで Zunkoさんの記事が更新されたことを知りましたが...なかなか気の利いたコメントを書くことができません。すみません。
私にもきっと近い将来に起こり得ること。
そのとき私はどう思うのだろうか...?
ご両親のご冥福をお祈りいたします。

by YAP (2018-03-03 16:26) 

TaekoLovesParis

Zunkoさん、ご両親様のご冥福をお祈りいたします。大変な昨年後半でしたね。12月といえば、つい最近のことですものね。
いつもZunkoさんを受け入れてくださってたお母さまと道しるべだったお父様、すてきなご両親でしたね。
<明日、死のあることを誰が知ろうか。、、、
2度とない今日という日が、最も尊い>
その通りですね。今までもZunkoさんのブログから、それぞれの人に運命の時があることや、スピリチュアルスポット、セドナのことを教えて頂きました。
私も両親を亡くした時から、次は自分の番だと、ある種の覚悟ができています。でも、Zunkoさんのように海外暮らしではないから、何とかなると思ってる部分もあります。
Zunkoさんは、書き出せばすらすらだし、日本語で暮らしてる私より、よーーっぽど、文章がお上手です。読み手を飽きさせないライブ感ある言葉も交えての今の思い、さぼり気味な私への示唆にもなりました。


by TaekoLovesParis (2018-03-03 22:13) 

raou

1年のうちに本当につらいことが続いたのですね。
書くことでこころをまとめて整理することが出来るのも人の特性なのかもしRません。
私の好きな言葉のひとつに、一日生涯、と言うのがあります。今生かされているこの一日を生涯と思って精一杯悔いの無いようにすごそうと。
時には休息する日があってもいいと思います。毎日を全力で過ごすというのとは違って、人生には休息もあるからこころや体を休める1日もありという感覚です。
海外から日本をしっかり見つめられている視点がとても好きです。
人はいつかは、亡くなって出直してくると信じています。
自然の尺度や神仏の尺度から考えると儚い命かもしれません。でも、儚いかもしれない人生でも、きっと笑って出直して行けたらいいなぁと思っています。
まだまだ、つらいときかもしれませんが、いつもご両親の御霊様が後になり先になって見まもってくださっていますから、そのメッセージを上手に受け取ってす過ごしていきましょう!
こころ勇めば、神も勇む。
by raou (2018-03-06 21:56) 

Zunko

YAP さんへ
いつも、コメント、ご訪問有難うございます。
YAPさんとこうしてSONETのブログでお知り合いになって、随分の年月が経ちますものね。私にとっては、バーチャルの家族の様な存在です。
ちょっと、重い人生のマイルストーンですよね。友達の一人から、順番が逆にならなくて、親を見送れた事を良しとする、と言ってくれたのが、本当だなあ、と思いました。
by Zunko (2018-04-09 03:08) 

Zunko

TaekoLovesParis さんへ

いつもコメント、ご訪問、ナイス有難うございます。
Taekoさんとは、こうしてソネブロ上でお知り合いになって、長い年月が経ちますね。ほんとに、私にとっては、バーチャルファミリーの様な存在です。
Taekoさんが、さぼり気味なのですか?内容が、濃くいらっしゃるので、濃く長くを続けるのは本当に大変と思いますのでね。。ゆるりとこれからも時々訪問して楽しませて戴きますね。
by Zunko (2018-04-09 03:12) 

Zunko

raou さんへ

いつもご訪問、コメント、有難うございます。
Raouさんとは、このソネブロ上でお知り合いになって、長い年月が経ちますね。私にとってはバーチャルファミリーの様な存在です。

一日生涯: 有難うございます。ほんとに。今日が人生の最後の日であるかの様に悔いないように生きる、と言う言葉が好きですが、それだと人生最後の日にこんなにぐうたれて良いのか、と思ったりして。生涯と考えれば、休息する日があって良い、との考えですね。そうですね。自分も、次は自分だと言う意識が強くなりました。
by Zunko (2018-04-09 03:24) 

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