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未だ続きがあった、アメリカの歯医者。 [亜米利加生活]

2018年4月8日

気がつくと、私は自分のベッドに座っていて、私の寝室のドアは開いていた。
そのドアの所に、母と父が手をつないで立っていた。
母は、私達が棺に入れた社交ダンスのドレスを着ていた。赤いシャツに
黒のフレアースカート、黒のダンスシューズ。とても楽しそうに、満面の笑顔で
”さあ、踊りましょうよ。”と言って、父の手を引っ張っていた。
父は、普通に白のワイシャツとズボンで、父独特の高笑いで、
”困ったなあ、どうやって踊るか、わからないよ。”と言って
ちゅうちょしていた。”大丈夫よ。私が教えてあげるから”と
母は、更に父の手をひっぱり、二人は私の寝室から、
反対側の部屋に向かって走っていったので、私はベッドから降りて、
二人を追いかけて反対側の部屋に走っていったが、二人の姿はなく、
私は部屋をきょろきょろしている所で目が覚めた。目が覚めた時に、
もちろんベッドに横たわっていたのだが、果たして今のは夢だったのか、
現実だったのか、わからない位、はっきりした画像だった。
私がこれほどクリアーな夢を見て覚えているのはとても珍しい事。

その反対側の部屋は、お仏壇を置いて、毎日両親の成仏を祈っている部屋。

これが初めて見た、両親の夢。それ以来、夢にも出て来ない二人。

でも、相変わらず、二人からのメッセージは時々舞い降りて来て。
二人から見守られている事を気づかされる。

今年の大河ドラマ、セゴドンで、西郷隆盛が相次いで祖父、両親を亡くした
エピソードの時。西郷隆盛の母が、彼の背中で静かに息を引き取るシーン。
その時の台詞に、吉之助は心が熱過ぎて、つい情けに負ける。
これからは、吉之助の好きな様に生きなさい、
私は吉之助の母で幸せだった、と言うのがありました。

紛れもない、私の母の言葉。

今日は、昨年母が亡くなった辺りから、全く手を付けていなくて、
ブーゲンビリアが巨大化して2階に届く位になり、隣の家から、
朝顔が伸びて来て、私のバラに覆い尽くして荒れ放題だったパティオに
庭師がやってきて、綺麗にしてくれています。
ので、庭師がお仕事終わるまで、こうして家にいなければならないので、
いつでも庭師に対応できる様に、ブログを書いて時間をつぶしています。
(ブログは、時間つぶしですか?って感じですが・笑)。

実は、2月に日本に戻った時に、何着か残した母の着物で、
昨年10月に持って来られなかった着物を持って帰って来たのですが、
そのスーツケースの半分、着物が入っている方は、3月末まで手を付ける事ができず
リビングルームに放置されていました。
拙ブログを読んでいる方はご存知かもしれませんが、日本に里帰りした後に、
うつになりやすい状態を、私はポスト里帰りシンドロームと名づけまして(笑)。

更に、テーブルの上には、10月に持って帰って来た母の品や書類やらが、
全く手を付けずにつみ上がっていたままでした。
母は、ずっとパスポートを更新し続けていました。私に何かあったら、
直ぐ渡航できる様に、と言っていたのですが、本当にずっと。
そのパスポートが全部出てきて、捨てられずに持って帰って来たのですが。
その山に埋もれたままでした。

それを、3月末に片付けて、今こうして、昨年8月から
開かずの間になっていたパティを綺麗にしているので、私なりに、
やっと前進し始める事ができている様に思います。

最後の記事が記事なだけに、元気でやっている近況をお知らせしようかと思い、
普通にブログ書いてみます。未だに大変アクセスの多い、アメリカの歯医者、
と耳垢の記事ですが、歯医者の方。観光旅行では経験できない、アメリカの
日常生活の記事がアクセス多いですね。

エピローグまで書いて、終わったかと思いきや、歯医者の話は、実は、
未だ続きがありましてね。これで終わって欲しい、と願っていますが、
果たしてどうなる事やら。。

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