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無償の愛 [癒し]

7月12日(月)

月日の過ぎるのは、何故これ程、早いのだろう。。。もう7月も12日が過ぎてしまった。

日曜は、新月に、皆既日食と言う、自分の心・マインドが望む方向に向って、新しいスタートを切るには絶好のチャンスだった。

私の大切な友人が亡くなってから49日が過ぎ。今日は、故人を偲び、又思い出話をさせて戴こうと思う。

大切な友人ーここにコメントを残す時に、彼女が使用していたペンネームで呼ばせて戴こうかな。。

私と茶長との出会いは、今から11年前にさかのぼり、99年の年末、オンラインで、でした。

99年と言えば、例のアステカカレンダーによると、自分がアスセンションに向けて意識を上げて行く、とコミットをする最後の年だったのですが、私の場合は、余りにも自分をベール(と言うより鎧)に包み、自分を生きていなかったので、私を囲む状況の方が変わり、私が嫌でも意識改革をせざるを得ない、と言う状況になりました。

私はその時(その頃の)人生で最大の挫折を味わっていました。私はそれまで、人生において大きな失敗を味わってこなかったので、色々相談していた親友は、私の挫折の許容範囲が狭い、と、それ位の事で何だ、と、叱咤激励をしてくれたのですが、あの時は、何を聞いても、何をやっても、全く気力が浮上せず、毎日がどん底でした。具体的に、どんな問題が起こったか、をご説明するよりも、それが自分にとって、どんな挫折だったか、をご説明しますと。それまで、仕事、仕事と、仕事を頑張って来たのですが、結局、どれだけ会社に貢献しても、自分の時間やエネルギーを費やしても、最終的には、会社は何もしてくれないのだ、と言う、自分の生活基盤と言うか、価値観、そしてそれに基づく自分の生き様が、根本的に変わってしまう様な、出来事でした。

今の日本は、これまでの終身雇用も崩れ、私の様に、大きな価値観の変化を味わっていらっしゃる方がたくさんいるかもしれませんね。。

今思えば、会社は何もしてくれない、のは当たり前なのです。会社はビジネスの為に存在し。そのビジネスを成功させる為に、私達従業員は、時間と労力を提供する。そして会社はその対価を払う。平等の関係なのです。
が、やはり、会社に勤めると言う事は、会社の意向が優先される。私達従業員は、置き換えられる部品。。

私が、その大きな挫折を味わい、価値観ががらがらと崩れ去って行った時に気づいたのは。
結局、朝から晩まで、仕事、仕事に明け暮れて。気付いた時には仕事に、自分の生きる価値を依存していた、と言うか。もちろん仕事は、自分が生きて行く上で、自分が成長できる場ではあったのですが、自分が自分の人生を生きて行く上で、それをサポートする手段であるはずの仕事が、いつの間にか立場が逆転していた、と言う事に気づいたのです。 We work to Live, not live to work....

では、私から仕事を取ったら何が残るのか。。。何も無いではないか、空洞の自分。。

そんな自分が見えてしまい、本気で、もう生きていても仕方がない。。と思い始めていました。

が、心のどこかで、何とかしたい、何とかここから立ち上がりたい、と思っていたのでしょう。。色々な本を読みあさりました。今の日本は、心のケアーや生活の質の向上が優先されると言う事が語られ、情報もたくさんあるでしょうが、あの頃は余り無く、本も、どちらかと言うと海外の本を翻訳されたものが殆どでした。更に、アメリカでは当たり前の、心のカウンセラーに相談する、と言う事も、あの頃の日本は、私が勝手にそう思っていただけかもしれないのですが、精神科に見てもらう、と言う様な事は人間として失格、みたいな抵抗があり、なかなか専門家に相談しようと言う勇気もわきませんでした。もっと言うと、それまで一人で何でもやって来た自立した人間だったので、なかなか他人に自分の弱みを見せて、”助けてください”と言えなかった。

そこで。私が取った行動は、インターネットで、心の事を取り扱っているウエッブサイトを毎晩、毎晩読み漁った。あの頃は、未だブロードバンドも無く、ダイアルアップの、つながると、ピーヒャララー(覚えていますか?あの音)、と音がするつなぎ方で、滅茶苦茶反応の遅いインターネットで、毎晩Webを読み漁っていました。あの頃は、ブログもなく、ホームページと言う呼び方でしたか。。

そうして、出会ったのが、茶長のウエッブサイトでした。 

私は茶長の、前向きな生き様に惹かれました。その時の私は、どん底で、もう死んでも良い、位な気分でいたのですが、”そう、それは可愛そうねえ。よし、よし”みたいな、慰めは求めていなくて。どうしたら、そのどん底から立ち直れるか、の具体的アドバイスを求めていたのです。茶長の生き様が、とても励みになりました。

そして私は、見ず知らずの茶長に、思い切ってメールを書きました。自分の生い立ちから始まり、何が起こって、今自分は死にたいほど落ち込んでいる事を。でも、そこから立ち上がりたいと思っている事を。。とても長い、長い、メールでした。99年のど年末、です。

私はそのメールを出した後、年末年始は実家で過ごし、会社が始まる1日に前に、自分のアパートに戻りました。メールのインボックスを開けるのが、怖かったです。多分、無視されているだろう、と。私の人生には、無視される、が問題として、何度も起こっているから、です。

茶長からの返事が、ありました。最初の一声は、良く”助けて”、が言えましたね、おめでとう、と言う事と。私は最近死にたい、と言う人から相談を受け続けるので、これは私も次のステップを進む事が要求されているのだと思う、と。。その茶長の返事は、今でもはっきりと覚えています。私がまるで、清水の舞台から飛び降りる位の覚悟で、メールを出した事を、この見ず知らずの人は、わかってくれた。。それだけで、救われた気持ちでした。

そこから茶長は、メールによる、カウンセリングを受けてくださいました。通常は、絶対メールではやらないのだけれど、と私の場合は、遠距離だったので、やむを得ない、と。それで、私は、お金を払いたいので、いくらか教えてください、と申し上げたら。。

”無償でやります。これは私からZunkoさんへの、無償の愛、です”。

無償の愛ー無条件の愛。。私は、これをずっと求めていました。私のブログのどこかで、書いた記憶がありますが。。学校の成績が良いから、良い大学に進学したから、優秀だから、一流企業に勤めているから、と言う条件付ではなく、私、と言う存在そのものを、ありのまま丸ごと受けいれて、愛してくれる。。そんな実感をいつも求めていました。

結局、茶長との最初のカウンセリングのテーマが、無償の愛。。

上に書いた通り、私から仕事を取ったら何が残るのか。。何も無い、空洞の自分。。。でも、それが私。その私自身を丸ごと受け入れ、愛する。。それが自分が自分自身を受け入れ愛すること。Self-love。。

自分が自分の事をありのまま受けれいれて、無条件に愛する事ができなければ、ましてや自分の周りにそれができない。

そして。もし、私が、例えば家族から、無条件に愛されている、と感じない時。それは私が家族に与える事ができるギフト、と言う事。。。 

こんな事を教えてくれたのが、茶長との最初の出会いでした。

それから、茶長が、お仕事で、私の働く町の近くまでいらっしゃる事があって。初めてお目にかかりました。
2000年の2月頃だったと思います。その時は、セレブな方とはつゆ知らず、自分が食べたいので、
高輪の高級レストランに連れて行き(それで良かったんですね)、全部茶長に払ってもらった(これは予定外だったけど、嬉しかった・笑)。

そして、その後、茶長が始めた、月一度のヒーリングレッスンに通い始め。茶長の知人を通して紹介された、アメリカ人の心理学博士のセミナーに、東京、京都を皮切りに参加し、アメリカに住み始めても、カナダ、ロンドンに足を運び、心理学を学び続けました。 

茶長に教えて戴いた発想を基に、自分と接する相手を見ると。。相手が自分をどう扱うか、で、その人がご自分を日頃どう扱っているか、が見えてくる。。余りにひどい扱い方をされた時、なんだこいつ、と私はむかつきますが、一歩視点を変えると、そうやってその人はいつも自分に対してひどい扱い方をしているのだ。と見えて来て、これが慈愛、コンパッションの始まりなんだ、と言う事が、後でわかってきました。が、この視点を変えて、なんだこいつ、とむかつく気持ちから、コンパッションへの転換が、なかなかできない、とんでもなくむかつく相手、と言うのが次から次へと人生に出てきます。その人への怒りから許し、そして慈愛へと変えていく事を助けてくれる、私が成長する為の課題が常に与えられる、と言う感じですね。

ただ、ここで注意しないといけないのは、自分に対してひどい態度を取った相手、は許し、受け入れますが、そのひどい態度・言動そのものは受け入れない。。相手に対してはっきり、ノーと言う。。これが、私には、実はなかなか、できないのです。ビジネスの世界や自分が顧客の場合はできるのですが、例えば近い友人になればなる程、できなくなります。今はそれが課題。。


茶長は、夢にも出てこないし。気配も感じないし。。アメリカまで来ないのかな~。と思っている時。確か、6月の終わり、マイケルジャクソンの1周忌で、ローカルラジオで、マイケルジャクソンの特集をやっていました。ベッドに入る前に、ベッドサイドにあるラジオをつけたら、We are the World。。が流れまして。それは、茶長が自分のお葬式の曲のひとつとして挙げていた曲だったのですが。。それを聞きながら、私は、ラジオをつけたまま、ライトもつけっぱなしで、いつの間にか、眠ってしまいました。 

ふと真夜中に目が覚めて。。その時にラジオから流れたマイケルジャクソンの曲が、こちらでした。 

You are not alone....



For you are not alone
For I am here with you
Though we're far apart
You're always in my heart
For you are not alone

それまで。。茶長の事を考えないように、自分の感情と向き会う事を避けていたのですが、この曲を聴いた時、せきを切ったように泣きました。茶長からのメッセージだとその時、はっきり思いました。

こうして、時々、私にメッセージを送ってね、茶長。。ジョークも聞きたい(笑)
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コメント 5

mamiko

すごくいいお話でした。
出逢いのお話は、初めて知りました。
大好きな茶長さんの話を聞かせてくれて、ありがとう。
by mamiko (2010-07-15 11:38) 

hima

日本は連日、猛暑が続いておりますが、お元気ですか?

早いもので、すでに新盆も過ぎ、来月にはお彼岸ですね。。。

私達の時間は、まだまだ動いているようで、これからもまだ山あり谷ありのようです。
by hima (2010-08-22 23:55) 

NO NAME

初めまして。
茶長さんのブログからこちらに参りました。
私の母がすい臓がんを患い、沢山の闘病ブログを読みました。

死に様でブログを綴る方が大半のなか、最後まで生き様でブログを綴ることのできる稀有な方でした。
お会いしたことはありませんし本業も存じませんが、とてもとても純度が高い分、劇薬のようなところのある方だったのではないでしょうか。相手の度量次第では毒にも薬にもなるのではないかと勝手に推測しております。

茶長さんの言葉をひとつひとつ噛みしめて行くうち、私の苦しみの正体に気づくことが出来ました。
私はずっと心のどこかで母が病気にならずに過ごせていたであろう未来に執着していたんです。起こってしまったことの改ざんなんて不可能なのに、叶わない望みに縛られていたんです。そんな執着越しに物事を見ていたら、これから起こっていくことをあるがままにうけとることなんて出来る訳ないですよね。
亡くなってからの出会いでしたが、私もカウンセリングを受けて貰えたような気がしています。

無償の愛かぁ…、生きてるうちに行動で示して行きたいですね。
by NO NAME (2011-01-19 00:36) 

Zunko

No Name さん へ

ご訪問並びに、コメント 有難うございます。茶長つながりですね。

本当に。あの方は、最後まで、生き様を見せてくださいましたね。
いずれは終わる人生、本当は、毎日毎日、1分1秒を大事に生きて行く事が大切な事なのでしょうけれど。。なかなかできません。

お母様がすい臓癌になられて、さぞお辛い日々だとお察し致します。私は、茶長が余命半年の宣告を受けた時に、直ぐ会いに行かなかった事を今でも後悔しています。。が、これも起きてしまった事を後悔した所で、過去を変える事はできない。。でも、その事実を自分がどう考えるか、は変える事ができますからね。。

無償の愛、と言うのは言うのは簡単ですが、行動に起こすのは難しいです。。あるがまま、ありのままを受け入れる、何の対価も求めず愛する。。深い愛ですね。。でもこれが私達の本質の姿なのだと思っています。

又よろしかったら時々遊びに来て下さい。



by Zunko (2011-01-23 08:28) 

NO NAME

コメント有難うございました。
こんな状況になると慰めてもらったり労わってもらいたいとは全く思わないのです。たとえ、同じ思いをした方からでも。
痛みや悲しみを感じすぎるほど感じながらそれでも前向きに生きている人の生き様から何かを掴んでいく、これが今一番私の必要としている事のようです。

時々参りますので宜しくお願い致します。
by NO NAME (2011-02-01 23:30) 

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