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アメリカ移住④ -グリーンカード [亜米利加 仕事編]

8月21日(月) 

夏の高校野球決勝、素晴らしい試合でしたね・・。私はNHKでダイジェスト版を見ただけなのですが、感動して胸が熱くなりました。

さて。暫く書いていなかったアメリカ移住の話。今日はグリーンカードについて触れておこうと思います。そうしないと何となく仕事の話に行きずらい気がして。

今まで私は、’前例が無い’と言われる事を色々達成して、密かにそれを自分を励ます勲章の様に考えて来ました。今回私が、グリーンカードを取得して現地の会社に移籍したのも、私が勤める今の会社では名誉ある日本人第1号(最初で最後との噂も・笑)。

前例が無い事をするのは、道を作りながら進むような物なので、試行錯誤と言う言葉がぴったりの様に思われるかもしれませんが、実は案外そうではなくて、絶妙のタイミングで絶好の助っ人が現れたり、予想もしなかった絶好の事が起こったり。自分がそれを絶対手に入れる・達成する、と言う確固たる信念を持ち続ければ、その信念が方向付けをして、方法は自然と示されて行く、と言う感じでした。夢を叶えて行くとは、こんな感じなのかもしれません。

グリーンカード=永住権は、免許証みたいなプラスチックのカードなのですが、以前は緑色だった事からグリーンカードと呼ばれる様です。今はクリーム色で、以前の様に斜め横を向いて取った写真では無く、パスポートと同じ、両耳出した真正面からの写真が貼られています。10年毎に更新で、これを取った途端、永住権を放棄するまでアメリカへの納税義務があり、どこに住もうとアメリカの税務署が地の果てまで追って来ます。選挙権はありません。

私が理解する限り、グリーンカードの申請方法には大きく分けて3つありまして(専門家ではないので間違ってたらごめんなさいね♪)

1.家族による

2.雇用関係による

3.抽選永住プログラム による

私は、2番の方法だったのですが、主だった必要書類や手続きは以下。

ーI140 フォーム - Immigrant petition for Alien worker 私の雇用主が申請者

ーこのフォームの補足書類として私の過去の経歴や今の仕事の成果等 プラス私の場合はL1ビザ発行許可書類

ー出生証明書(日本の戸籍を元に日本大使館・領事館にて発行)

ー警察証明書(無犯罪証明書ー申請書は10本の指の指紋を取り、日本大使館・領事館にて作成ー日本の警察へ申請。約3ヶ月かかる)

ー面接前に、指定の医療機関にて指定の用紙に記載できる様、健康診断

私は日本のアメリカ大使館で申請したので、東京の聖母病院に行きました。

月並みな健康診断他、変わり所としては、はしか、おたふく、水疱瘡の抗体のチェック。もし抗体なければワクチン接種要。他に、全裸で全身隈なくチェック(実際はありませんが書類にはそう書かれている)とHIV検査もある。

プラス、グリーンカード取得後の私のジョブポジションを示す会社からのレター

妙だったのが。アメリカ大使館での面接時、健康診断の書類他諸々の書類を持参する必要があるのですが、その書類の中にレントゲン写真が含まれ、これが妙に大きい故、これを持ってる人はアメリカ大使館に来た、と言うのが一目でわかります。レントゲンはその場で開封されて大してチェックもせず返却されるので、それが目的の様です。私はアメリカ大使館に来たと言う大きなバッジ。

面接は、一度カナダのトロントにあるアメリカ大使館で赴任ビザの延長をした時と同じ、立ったまま係員と窓口でガラス越しに質疑応答。違いは、グリーンカードの面接の時は、宣誓をさせられた事(片手を挙げて係員の言った言葉をそのまま真似して言うー私の答える内容に嘘偽りはありません、と言う宣誓)、結構しつこく仕事の事を聞かれた事(赴任ビザの延長の時は、あんた○○に勤めてるのね~?だけだった・これは会社の恩恵)。

それでも数分で面接は終わった。待ち時間は1時間以上、お役所とはこんな物ですね。その後、アメリカ大使館にパスポートを預け、グリーンカードの代わりのパーマネントレジデントビザをパスポートに貼り付けて郵送で送られ、そのビザで最初にアメリカに入国する時の入国審査で移民手続き完了、後日グリーンカードが移民局から家に送付される、と言うプロセス。

実は、私は3番の抽選プログラムに2000年から2004年まで、毎年申し込みました。興味のある方は、こちらをどうぞ。ここ以外にも色々な組織が抽選申し込みのサポートをしています。私は結局当たりませんでしたが、実際に抽選で当たった人を2人知っているので、本当に抽選してグリーンカードが発行される様です。

余り過去話もなんですが。私がグリーンカードを取得したいと強く思い始めたのは、遡る事99年。5年任期との話だったサンディエゴの赴任が会社の事業計画変更により1年で終わった年。サンディエゴに正式赴任したのは98年ですが、東京にいた96年頃からその任務につき、長期出張をしながらビジネスを成功させるべく万全の準備を整えていただけに、意半ばにしての撤退は無念でした。少なくとも自分の担当地域は黒字だったし、その年からマーケットはうなぎ上りで拡大すると言う状況でありましたから。結果論ですが、会社が後半年判断を遅らせていたら結果は違っていた、と今でもその当時の同僚と話ています。

一方で。私は海外で仕事をしてみたい、と言う希望を持っておりまして。性別に関係なくやる気さえあればチャンスを与えてくれた私の会社でも、女性の海外赴任のチャンスは、男性に比べたら少なかった様に思います。残念ながら、女性は地の果てでもどこでも行きます、とは言えませんから。中近東系、治安・衛生の悪い国々等、女性の赴任が不可能・非現実的な地域はたくさんあります。

私にとっては、これが奇跡的に天から降ってきた赴任のチャンス、と言う感じでしたので、1年で終わる事に対してはかなりショックで、折角つかんだチャンスなのにって感じでしたね。何で私が・・の超被害者モードでした・笑。

会社からの赴任者と言うのは、赴任ビザ(L1)が会社の名前で取得されてる以上、会社から日本に帰れと言われたら、赴任ビザは無効になりアメリカに残る術は無いのだ、とその時強く感じました。

が、転んでもただでは起きない私は、アメリカに残れる様、同じ会社の違う仕事のポジションを見つけ、先方も是非来て下さいとの話でしたが、アメリカ人は全員レイオフになっていたので、日本人だけ特別扱いをしている、と訴訟される事を恐れた会社の人事は、とにかく一度日本に戻れ、の一遍張りでした。悔しくて、アメリカにある別の会社に面接に行ったら、これも是非来て下さい、との事でしたが、グリーンカードが無ければ、ビザをサポートしてまでは採用できない、と言う訳で。。たとえ仕事を見つけて自分がクオリファイでも、グリーンカードがない限り採用されるのは難しい・・そう痛感しました。

以上が、グリーンカードを必ず取ってやる!と決心した経緯です。2度と会社には振り回されるまい、会社は最終的には会社の都合で決める、個々人の貢献など関係ない、そう学んだからです。今思えば当たり前なのですが。その当時はもっとナイーブで今より世間知らず、でした(今もだけど、ははは)

その後日談ですが・・・。

 一旦日本に戻ったものの、アメリカで再度仕事ができるチャンスがなかなか見つかりませんでした。日本にある外資系の会社が使ってるヘッドハンターからコンタクトがあって転職も考えたのですが、面接を設定すると不思議とハプニングが起こり面接すら実現しませんでした。丁度日本に戻って2年目を迎える2001年春頃、半ばあきらめて留学を考え始めた矢先、今の会社での可能性が降って沸いて来て、2002年1月マイアミ赴任実現、今に至ります。

グリーンカードを申請したい旨伝えてから、会社がオーケーするまでに一年と言う月日が流れました。そこから弁護士を自分で雇って申請するまでに2ヶ月、許可が降りたのがその5ヵ月後。その3ヶ月後にはグリーンカードのプラスチックを受領。と最後はとんとん拍子で事が進みました。

何と言うか・・。自分でどんなに強く願っても思い通りに事が運ばない時は運ばないけれど、いざ回転し始めたら随分簡単に事が運んでしまい・・・ほんと人生って何事も自分の思い通りのタイミングで行かないものだなあ、と痛感した次第です。これが、人生は自分にとって絶好の事が絶好のタイミングで起こる、と言う事なのでしょうか。

長くなりました。最後まで読んで下さって有難うございました。未だ私の中で、あの時、たられば、があるのだと思いますが、今は、この経験が無ければ今の私はありませんでしたので全ての事に感謝の気持ちで一杯です。

 


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ローズパイが好きならおう

強い夢は叶う!!
そう信じて自分の道を切り開かれたのが本当に良くわかります。
私は、成ってくるのが天の理と聞かされています。
想うだけでなく強く念じて意志を強く持ちつづけてそれを実現するために努力は惜しまない。ただし、天の神様は時々、まだ早いと想うと止められる(想いが続くか試される?)、でも、機会(チャンス)を作ってもくれるようにおもいます。
一所懸命やっても報われなかったとき、成ってくるのが天の理だと想うと、まだ早かったもしくは、きっと何かトラブルが起こったりするのだろうから、大難を小難、小難を無難に成るように調整しているのだと私は考えるようになりました。
新しい事への挑戦は必ず壁があります。その壁に当たったとき、
その人の想いの強さが(意志が)強く永続できるか。
きっとそれが夢を叶えるために必要な大事なことなんでしょうね
「強い夢は叶う!」さだまさし さんの言葉です
by ローズパイが好きならおう (2006-08-22 22:11) 

Zunko

ローズパイが好きならおう さんへ
ナイス&コメント 有難うございます。
何て言うか、お言葉が魂に響きました。私の足りない脳みそは未だ消化時間が必要の様ですが・笑。奈良の歴史の重さを感じさせる深いお言葉を有難うございました。偶然にも、大難が小難、小難が無難、と言うのは私も気功の先生に教えて戴き、何があっても感謝の気持ちを持てる大事な考え方だと思っています。成って来るのが天の理、強い夢は叶う・・私の薀蓄集に追加させて戴きます・笑
by Zunko (2006-08-23 11:43) 

neko

そういう経緯があったんですね。勝ち取った今のポジションなんですね。すごいです。夢はかなう!の体現ですね。
私はのんびりしすぎで、10年くらいアメリカにいるのにいまだにビザで生き延びてます。ていうかアメリカ人と結婚してるんだからGCくらい取れよって話ですけど・・・。これだけ出張してて、毎回入国の際外国人の列に並んで指紋取られている自分も我ながら忍耐あるな~と思います。いや、そんなこと言ってる場合じゃないですね。
by neko (2006-08-26 14:21) 

Zunko

neko さんへ
コメント有難うございます。
アメリカ人と結婚されているので、GCはお持ちなのだろうと勝手に思っておりました。恐らく学生ビザとH1ビザで10年位いらっしゃるのだと思いますが、H1もL1も労働ビザには最高年数が決められていますし(確か8年)、労使関係が無くなったら即刻ディポートと聞いてますので、その度胸の良さに脱帽です。
by Zunko (2006-08-28 10:55) 

Elena

素晴らしい記事!これは、ある意味の情報です
ウェブの周りで共有されます。これを位置付けていない検索エンジンに対する恥辱
ポストアッパー!さあ、私のサイトで話してください。
ありがとう=)
by Elena (2017-09-22 02:03) 

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by ScottMouro (2019-09-24 11:31) 

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